【本を読む】

『落穂拾記―新聞記者の後始末』

  羽原 清雅/著 オルタ出版室/刊 新時代社 2,000円+税

加藤 宣幸


 かねて著者からメールマガジンオルタに連載した50回分の「落穂拾記」をまとめた、とお聞きしていたのだが、実際に上品な装丁のB5版511頁9ポ2段組み総字数約65万字を超える分厚いこの本を手にした時には、正直いってそのボリュームの大きさに驚いた。勿論オルタに連載したもの以外に、著者が学生として60年安保を論じた論文、ジャーナリストOBとして早稲田大学学生のインタービューに答えた記事、あるいは小選挙区制度反対の持論を述べた政治論など数点が加えられてはいるが、ほとんどはオルタに載ったものだからまさかこんな大部のものとは思っていなかったのだ。

 この本が上梓された時、私は著者に出版のお祝いや書評掲載などについて相談したが、「この本は自分の覚書にすぎないのだから」と固辞された。逆に、オルタ編集者として紹介文を書いて下されば、という異例な運びになった。なにしろ著者の『民主党はこれでいいのか』という論考がオルタ創刊と同じ年の2004年11月号(9号)に初出されて以来、2016年3月号(147号)までに掲載(うち「落穂拾記」として50回連載)されたもの(「メールマガジンオルタ・著者一覧・羽原清雅」で全文検索可)がほとんどだから、私は編集者としてすべてを読んでいたし、これはオルタ13年の歩みとほぼ重なるので格別に思いは深い。

 著者は中学生の頃から新聞記者になりたいと公言し、やがて朝日新聞社に入社し、政治部長、西部本社代表まで一筋に歩まれた練達のジャーナリストである。しかも第一線の記者たちを研修する研修所長までやっておられるから、いわば新聞記者の権化ともいうべきキャリアである。私は1946年から1968年まで日本社会党本部に在職し、太田博夫さんをはじめ石川真澄・中瀬信治・梁田浩祺さんなど歴代の朝日新聞担当記者とは他社の記者よりも比較的に親しくしていたが、著者は1962年朝日新聞入社だから、私が本部にいた頃にはまだ社会党担当ではなく仕事上の接点はなかった。たしか初めてお会いしたのは2003年のころ、私が主宰していた「戦後期日本社会党史研究会」に参加された時だから、かれこれ15年ぐらいのお付き合いになる。

 何年も前に1970年代の社会党を担当された各社の故飯塚繁太郎(読売)・宇治敏彦(東京)・羽原清雅(朝日)の3氏が共著で『結党40年―日本社会党』を刊行されたが、そのうちの一人、東京新聞元代表・現相談役宇治氏は先月からオルタの執筆陣に加わって頂いたのだが、この『落穂拾記』を手にされて「いかにも羽原さんの人柄が滲みでている」と評された。私もこの著書は羽原さんの誠実な人柄を映し出すとともに記者として取材する時の基本的な構えや綿密な調査を積み重ねる取材方法などについて自らの流儀を頑なに貫かれていると感じた。

 第一の取材の基本的なスタンスについては、取材先と何よりも信頼関係を築くことと適切な距離を保つことだ、と強調される。その例として読売新聞社の渡辺恒雄氏のケースを、早稲田の学生に答えているので少し長くなるが要約して紹介したい。
 『政治記者には政治家と一体化してしまう人と記事内容と付き合いを峻別する人間と二種類ある。渡辺は前者であり、前者がそのまま新聞社のトップにまで行った特異な例だ。僕は渡辺が好きじゃないけれど、それは読売だからではなく新聞記者として間違いだからだ。(中略)大連立の時に小沢が動いて、その仲介を渡辺がやったというがそんなことは新聞記者がやることではない。それがいいことでも悪いことでも距離を置かなければならないというのが僕のスタンスだがなかなか普通の人には理解できないと思う』
と明快に述べられている。

 第二の取材方法については新潟・水戸支局勤務時代から本社・西部本社・本社と続く長い記者生活の経験を詳しく後輩に伝えている。この著書では91本の論考を10章(1.報道の世界・2.教育の周辺・3.科学とは・4.世相の断片・5.勤務地その後・6.母方の地津和野・7.政局を読む・8.政治の周辺・9.選挙制度の矛盾・10.新聞記者というもの)に分けられているが、当然、7章30本・8章14本と政治関連の記事が圧倒的に多い。私は羽原さんの記事取材手法について政治関係でなく、ごく個人的な体験をしたのでご紹介したい。

 以前、著者から前著の『「門司港」発展と栄光の軌跡―夢を追った人・街・港―』(書肆侃侃房・2011.1/刊)を頂いた時、私が梅月瀬太郎という遠戚が門司で地方新聞を出していたことがあると一言だけ漏らしたら、新聞経営者ということに興味を持たれたのか名前だけを手掛かりに早速取材を開始されて『「梅月瀬太郎」なる人物を追う』(メールマガジンオルタ102号2012.6.「落穂拾記」)という約5,000字位の記事をまとめられ、彼個人の経歴や人柄・経営した事業の全容、そして当時の門司地方の政治経済事情などを詳らかにされたのにはさすがと感嘆した。
 その取材手法(上記記事に詳述)が、まず早大図書館で古い人名辞典や戦前の興信録をめくることから始まり、門司市史や大正時代の新聞年鑑などの各種年鑑類・電話帳などに至るまでのあらゆる資料にあたり、最終的には現地で聞き込み調査までするというおよそ手軽なネット検索の対極にある緻密な積み上げ作業だったからだ。

 今や歴史となった番記者ならではの数々の政界秘話は勿論だが、新聞メディア衰退の危機が進み、調査報道の重要性が叫ばれる時、自らの体験を裏打ちとしてジャーナリズムのあり様について強く訴えるこの本は貴重である。是非若い人、特にメディアを志向する諸君には一人でも多く読んで貰いたい。そして著者には、これからもまだまだ健筆を振るって、後輩にその豊富な経験をオルタのアーカイブ機能などを使って伝えて頂くことを切望したい。

 (メールマガジンオルタ代表)

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