【コラム】風と土のカルテ(45)

『神になりたかった男』が問い掛けるもの

色平 哲郎


 日々病院で働いていると、病院という空間になじみ、染まっていく。病院内の常識が世間の常識のように思うこともある。
 しかし、病院というのはかなり特殊な空間だ。白衣に象徴される「聖性」と、感情を持つ人間がまとう「俗性」。二つが混じり合い、組織としての病院は独自の動きをする。だからこそ、病院のアイデンティティーが大切になる。「何のために私たちはこの場にいるのか」という問いだ。

 11月に発刊された『神になりたかった男 徳田虎雄』(山岡淳一郎著、平凡社)は、この当たり前のことを鮮烈に再認識させてくれた。徳田虎雄氏が創業した徳洲会は、いまや病院数71、職員数3万人超、年商4,200億円を超える、日本最大、世界屈指の民間病院グループ。1970年代に大都市近郊の医療過疎地で、「年中無休・24時間診療」「患者からはミカン1個ももらわない」「生活に困る患者の医療費自己負担は猶予する」と謳って病院を建て始め、瞬く間に巨大化した。  http://www.heibonsha.co.jp/book/b314288.html

 進出先では地元医師会と壮絶な闘いを繰り広げる。1985年の医療法改正で地域医療計画制度が導入され病床規制が始まると、駆け込み増床に動き、「個人病院」として開設する。それが、現在、徳洲会の旗艦病院といわれる湘南鎌倉総合病院の始まりとは、全く知らなかった。
 本書には、当時の交渉の模様が描かれている。県の医療審議会が徳洲会の新設計画を「不可」とする中、県庁の幹部が徳洲会の担当者に打ち明けた。「一つだけ、県でもね、断れない方法があるんですよ」「個人病院です。現在の法律では、個人病院の開設まではノーと言えないんです」。

 徳洲会の礎をつくった「アメリカ帰り」、加えて「全共闘世代」の医師たち、戦地への従軍体験を持つ看護師、そして事務幹部たち……。彼らは徳田氏の命令一下で集まったわけではない。徳田氏が掲げる「生命だけは平等だ」という理念の向こうに、医療変革の「社会運動」を透視し、馳せ参じた。いわば共同幻想としての徳洲会に、それぞれの自己実現を託し、病院づくりに打ち込んだ。急成長の要因はそこにあった。

 一方で徳田氏は、医師会とのバトルを通し政治力の必要性を痛感、国会に議席を得る。
 政界での徳田氏の存在感を高めたのは、ずばり「資金力」だった。本書で紹介される札束飛び交う激しい選挙戦、グループの関連会社を介して「裏金」をつくる手口には、思わず「そこまでやるか……」とため息の一つも出る。
 選挙となれば職員に大動員をかけ、公認候補が落ちても、落ちても、突っ込んでいく。
 権力の魔性であろうか。

 しかし、徳田氏のALS(筋萎縮性側索硬化症)発症で巨大組織は大きくきしむ。親族と事務方の大幹部が衝突。欧州の外資系銀行を巻き込んだ資金調達上の危機や、徳田氏が設立した政党「自由連合」の政治資金処理で、亀裂が深まり、やがて政界を巻き込んだ大騒動「徳洲会事件」として明るみに出る。

 大量の選挙違反者を出し、政治とカネの問題で揺れた徳洲会は、グループ解体の危機に瀕した。果たして、この危機をどのようにして乗り越えようというのか……。

 病院と人間のドラマを描いた本書を読了し、改めて自問した。医療は、いったい誰のものなのか――。願わくは、もう少し医療制度面の変遷に関して詳しい解説があってもよかったかと思うが、強烈なリーダーに率いられた病院グループの数十年の歴史を通して、医療や病院経営、組織のあり方を問いかける好著であることは間違いない。

 (長野県・佐久総合病院・医師)

※この記事は著者の許諾を得て日経メディカル2017年11月30日号から転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201711/553792.html

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