【沖縄の地鳴り】

『県民投票』の行方

大山 哲

 辺野古新基地問題は、玉城沖縄県知事の「対話」の呼びかけで、約1か月間、政府との間で集中協議が続けられた。
 「辺野古が唯一」(国)、「辺野古に基地はつくらせない」(県)――。双方の見解は平行線を辿り、11月28日の最終協議で物別れに終わった。
 安倍首相は、先の翁長雄志前知事への冷遇とは打って変わって、玉城知事とは、この間2回も面談した。国民からの批判の目を恐れ、それを逸らすための知事へのリップサービスだったのか。ただ「辺野古が唯一」の信念を一歩も譲ることはなかった。
 むしろ、玉城知事が、対話を求めてきたことを、政府サイドでは逆手に取って「玉城は組み伏せられる」との憶測さえ囁かれたと聞く。

 県が、国との協議の期間中、工事の中止を求めたにも拘らず、これを無視して工事を続行したことからも、その真意がうかがい知れる。
 対話という協調ムードを装いつつ、ちゃっかり工事を強行する。まるで「名を捨て実をとる」の図だ。
 安倍首相が常々述べる「沖縄に寄り添う」「何でもやる」とは、一体どういう意味なのか。なぜか、むなしい美辞麗句に聞こえて仕方がない。

 政府はついに、辺野古護岸への土砂投入を開始することを、12月3日、岩屋毅防衛相が発表した。新基地建設にとって、土砂投入(埋め立て)は、新たな工事の展開で、抜き差しならない事態を意味する。いったん土砂が投入されると、その範囲の美しい海は、永遠に消滅してしまうからだ。県はまさに剣が峰に立たされることになった。
 政府は、早くから土砂投入の機会を模索していたが、今の時点で強行実施に踏み切ったのはなぜか。いくつかの理由が考えられる。

 年明け早々には、県が11月29日に国地方係争処理委員会に、工事中止の審査申し立てをした結果が出る。どのような結論が出ても、翁長県政時代と同様、再び国と県の間で裁判闘争に突入するのは避けられそうにない。

 おまけに、2月24日には、辺野古新基地の賛否を問う『県民投票』が控えている。
 国が土砂投入を急ぎ、こだわるのは、強引に既成事実を積み重ねることで、県民の間に「もう手遅れ」「いくら声をあげても無理」とのあきらめや敗北感が広がることに誘導しているとしか思えない。土砂投入を何がなんでも「県民投票の前」にする国の底意がそこにあるからだ。

 県民投票が議題に上った当初、「知事選で民意は示されたのだから、あえて県民投票にかける必要はない」との反対論や慎重論が確かにあった。しかし、政府・与党は玉城知事圧勝の現実を無視し続けている。
 知事選や統一地方選挙で、政府・与党が総力を挙げて応援した「反オール沖縄」勢力は、辺野古問題を公約に掲げず、争点はずしをした。そのため、その分の民意が不透明にされたのである。

 辺野古基地一本に絞って賛否を問う県民投票は、玉城県政にとって、改めて「民意」を再確認するだけでなく、有権者個々人が、辺野古についての明確な意思を示す唯一のチャンスと言っていい。投票の結果が、法的拘束力を持たないにせよ、その波及力は計り知れず大きい、と見る。

 県民投票に向けた当面の最大の難題は、石垣市に続いて、宜野湾市が12月4日、県民投票条例に反対する意見書を可決したことだ。最も優先すべき普天間飛行場の危険性除去には触れず、辺野古だけで賛否を問うのは容認できない――というのがその理由。
 宜野湾市議会が訴える普天間飛行場の危険性除去に異論を挟むことはない。しかし、普天間からの移転の遅れの原因が、辺野古に反対する沖縄県や、これを支えるオール沖縄勢力にあるとするのは、責任転嫁もはなはだしい。「辺野古を認めよ」との意図、魂胆が見え見えだからだ。

 言うまでもなく、危険性除去は、専ら日米政府の責任で、一刻も早く、無条件に取り組むべき緊急課題のはずだ。これがいつの間にか普天間と辺野古がリンクされてしまった。しかも近年では、「辺野古唯一」が前面に出て、普天間は後回しにされ、主客転倒しているのである。

 仲井真弘多元知事と政府との間で約束された「普天間の5年以内の運用停止」は、来年2月には期限切れとなる。だのに、それに向けた政府の動きはまったく見えない。梨の礫ではないのか。
 それどころか、辺野古新基地が完成するまで普天間は返さない、とも言われる。難工事が予想され、完成まで13年間を要すると試算されている。しかも、総工費は2兆4,000億円の巨額に及ぶ国税の投入、というのだ。
 では、完成までの間、普天間基地は存続したままなのか。これに対する政府からの明確な応答を聞いたことがない。

 政府はこれまで、数々の「アメとムチ」政策で、県民同士を対立させ、世論の分断、懐柔を図ってきた。県民投票に向けた石垣市や宜野湾市の動向を見ていると、「辺野古が唯一」を固持する政府との間で、何らかの密約が交わされているのでは、と疑いたくもなる。
 県民投票に対して、菅官房長官は「冷静に受け止める」と、一見高みの見物を決め込む。裏腹に、さまざまな裏工作や暗躍があった、と想像される。

 県民投票で懸念されるのは、投票率のこと。県も41市町村全体の実施をめざして担当部署を設け、集中的に取り組んでいる。しかし、石垣、宜野湾、糸満の3市が態度を保留している。仮に3市が離脱した場合、投票率にも多大な影響が出る。
 投票率が極端に低くなると、辺野古反対の意見が過半数を占めても、民意としての威力が減殺される。政府の狙いが「もはや民意ではない」というところにあるとすれば、県民を愚弄する国家の暴挙と表現するほかはない。

 県民投票条例は、住民グループの署名運動を原点に、直接請求を経て、県議会で正式な手続きを踏んで実施される直接民主主義の行為である。3市の首長も、自治体の義務として投票実施に参画すべきで、よもや有権者の投票権を奪うことになってはならないからだ。

 県民投票に示された「民意」が、沖縄だけの少数者の意見として押し込められてはたまらない。全国の世論の中にも位置づけてほしい。もちろん、もう一方の当事者であるアメリカ政府、国民、さらには国際世論に沖縄の民意が届くことを願うのみである。

 (元沖縄タイムス編集局長)

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