【北から南から】中国・深セン便り

『日本の外国人研修・技能実習制度』

佐藤 美和子


 最初にお断りしておきますが、これは十数年も前の話で、なおかつごく短い期間に私が見聞きした内容です。外国人研修・技能実習制度については、その後の法改正により、当時とは実態が変わっているかも知れませんし、もしかしたら法や制度は変わっても、現場での状況は変わっていないかも知れません。この見聞録はあくまでも当時の話で、その中の一例としてお読みくださるようお願いします。

 十数年前、私がまだ日本にいた頃のことです。中国語が使える転職先を探していた私は、外国人研修生の受け入れ機関をしているとある団体に、職員として就職しました。応募条件に書かれていた、中国語に関する検定や試験の要求レベルも一般企業より少し高めでしたし、また面接の場でも、実際の中国人との会話によって語学レベルを測られるなど、中国語能力がかなり要求される職務内容であろうことがうかがわれ、停滞気味だった自分の中国語レベルも、その仕事を通じてブラッシュアップが望めそうという目論見もあっての事でした。

◆ 外国人研修生受け入れ団体の業務内容

 そこの団体では、主に中国人、あとはフィリピンやタイ、インドネシア人も少数受け入れていました。まず現地国の公的送り出し機関が、応募者を筆記試験や面接でふるいにかけ、派遣人員が決まったら人材の情報を送ってきます。

 日本側の受け入れ団体は、送られてきた情報をもとに研修生の日本滞在ビザを手配するところから始まります。研修生の来日当日は到着空港まで迎えに行き、研修センターへ送り込むと、そこに1〜3ヶ月ほど缶詰状態で日本語を集中的に学ばせます。基礎日本語会話のほかに、彼らののちの研修先で必要になる専門用語、または日本での生活上の注意事項などもそこで専門のスタッフが教えます。

 日本語の特訓が終了すると、研修生受け入れ企業に、研修生を振り分けして送り込みます。研修生の滞在期間は、日本語研修期間を含め、最短1年、最長3年です。技能が優秀な研修生の場合、受け入れ企業側と本人の双方が望めば研修期間を延長することもありますが、ほとんどは1年での帰国が一般的でした。

 各企業での研修期間中、研修生が住まう寮と毎日の食事は、研修先企業が世話することになっていました。通常は社員寮に住まわせるか、寮がなければ企業側でアパートを借り受けて住居を準備しますが、稀に経営者宅にホームステイさせることもあったようです。社員食堂がない企業では、経営者の家族が毎日食事を用意して、研修生に届けたりしていました。

 そんな風に、研修中の生活は受け入れ企業側で面倒を見ることになっていましたが、研修生の母語が話せる人や、相手国事情に詳しい人が受け入れ企業側にいることは滅多にありません。また研修生にしても、ほとんどが海外渡航は初めてという人ばかりです。初めての海外で、生活習慣や食事、勤務形態から研修内容と慣れないことだらけ、しかも付け焼刃程度の短期間の日本語研修では言葉が満足に通じないことも相まって、研修生は日々ストレスを溜め込みます。中でも中国人研修生は自己主張が激しく、日本に来てもお国の流儀をそのまま押し通そうとします。会社や上司、指導員の指示に従わず、自分がやりたいように仕事を進めたり、勝手な理由で仕事に手を抜いたりと、他の国の研修生に比べ、何かとトラブルを起こしがちでした。

 そういう衝突を避けるために、受け入れ団体職員は、定期的に彼らの研修先を訪問し、勤務態度に問題はないか、生活上で困ったことはないか、企業側と研修生に確認してまわります。双方に何か行き違いがあればそれぞれから事情を聞き、解決策を見つけて折衝するというケアも、我々職員の重要な仕事でした。

 研修生にとって我々職員の定期的な訪問は、母国語で苦情を訴えたり、生活のことで質問ができたり、または何の問題はなくとも母国語で誰かとわずかでも会話ができる、数少ない機会です。当時は今のように、誰もがインターネットを利用する時代ではなく、知りたいことがあっても情報入手の手段は限られていました。まして、あの頃は携帯でいつでもお手軽に故郷の家族や友人と連絡が取れるなどということもなく、まだまだ国際電話のハードルも高かったため、今よりずっと外国人は孤独に陥りやすかったのです。なかには訪問団体職員とはあまり接触したがらない研修生もいましたが、欲しいものが買える場所についてや銀行や郵便局の利用の仕方など、この時とばかりに母国語が通じる訪問職員を質問攻めにしたり、訪問を受けている間は堂々と仕事から離れておしゃべりしていられるから大歓迎!と、喜ぶ人もいました。

 彼らの研修期間の終わりが近づくと、受け入れ団体が彼らの帰国チケットを手配します。帰国当日は研修先まで迎えにいって出発空港に送り届け、彼らが無事に出国するまで付き添います。研修生の出国を見届けるまでが、私たち受け入れ団体職員の仕事でした。

◆ 就職後まもなく、次々に見えてきた問題点

 私が受け入れ団体のそんな業務の流れを覚えたころ、事務所の奥まった壁に大きな一覧表が張られているのに気づきました。それは研修生氏名や、訪日年月日、研修終了予定日、研修先などが記入された一覧表だったのですが、各氏名が色とりどりのマーカーで塗り分けられているのです。国籍別ではないようだし、この色分けは何を意味しているのかと先輩職員に尋ねてみると、

 「あぁ、この色は脱走・行方不明で、不法滞在者になった印だよ」

と教えられました。脱走者のマーカー色は、一覧表の中でもそう少なくない割合でした。それまで私にとって、不法滞在者などというのはニュースの世界でしかなかったのに、突然目の前に実体となって現れたことが衝撃で、その他の色の意味するところが何だったのかは全く覚えていません。

 また、オフィスには金庫が置かれていました。有価証券を扱うわけでもないのに、なぜだろうと思っていたら、なんとそれは研修生たちから集めたパスポートを収めるためのものでした。えっ、日本の法律では、滞在外国人はパスポートもしくは外国人登録証の携帯義務がありますよね? 勤務先などが外国人のパスポートを取り上げるのは、違法行為にあたるのでは、と尋ねると、まぁ違法は違法なんだけど、でもそうでもしないと研修先からみんな脱走してしまうからねぇ、とのことでした。日本に到着したその日から帰国日までの間、ずっとパスポートを人質にとっているようで、なんとも後ろめたい気分でした。パスポートを取り上げることが、脱走の抑止力になっていることは事実です。必要悪、ということなんでしょうが……。

 研修期間の終わりが近づいてくると、それまでは真面目に研修を受けていても、まだ帰国したくない、もう少し日本滞在を続けたいと土壇場で不法滞在に走る人も出てきます。そのため彼らの帰国日は、本人たちにはぎりぎりまで内緒にしなければならず、帰国日2〜3日前にやっと告知することになっていました。

 帰国日当日は職員が付きっ切りで空港へ送り届けるのも、ぎりぎりでの脱走を防ぐためです。取り上げていたパスポートやエアチケットは、出国審査場のゲート前まで連れて行ってから、やっとそこで渡されます。過去に、空港にてギリギリでの脱走を目論んでいたのであろう研修生と職員とでパスポートの奪い合いになり、研修生に殴られて負傷した職員もいたそうです。

 それもこれも、まず研修・実習生制度を利用して日本にやってくる外国人のほとんどは、研修を受けたくてやってくるわけではないのが問題なのです。研修生制度を設けた日本側の理念は、日本の技術を外国人に学んでもらい、帰国後はその技術を生かして仕事をしたり、母国で日本で学んだ技術を広めて役立ててもらおう、というものです。ところが外国人側は、単なる合法的な出稼ぎ制度としか認識していないのです。応募してくるのは、主に農業従事者やリストラなどで無職になった人たちです。定職に就いていたり、ある程度の収入を得ている人、大卒以上の高学歴者は研修生制度になど応募してきません。一年の研修期間で手にすることができる研修手当てが、母国での収入を上回る見込みの人が、応募してくるのです。

 中国人の場合、パスポートの取得が目的というのもありました。よほどの犯罪歴でもない限り、申請さえすれば簡単にパスポートが取得できる日本人には想像がつきにくいと思いますが、その頃の中国では、中卒〜専門学校卒レベルの低学歴者や農村戸籍者などには、役所にコネでもなければなかなかパスポートを発行してもらえなかったのです。例えば海外にいる親戚を頼って出稼ぎに行きたくても、訪問国の滞在ビザどころかまずパスポートが取れなければ、どうしようもありません。しかし日本の研修制度を利用すればパスポートが取れ、また海外に長期間滞在したことがあるという実績がものを言って、他の国の滞在ビザを申請するときにも有利になるのです。

 研修手当てについても、また大きな疑問でした。研修先企業からは、彼らには最低賃金程度の手当てが支給されます。ぶっちゃけますと、企業から出る手当ては当時14万円ほどでした。住居と食費が会社負担なら、14万もあれば生活は余裕では?と思いますよね。でも実際は、研修生が毎月手にするのは7万円台でした。健康保険や渡航費など、さまざまな名目で受け入れ団体に経費として差っ引かれ、最終的に月7万円台になってしまうのです。日本語研修期間を除いた企業研修期間が9ヶ月と考えると、単純計算で一人あたり60万円ほども受け入れ団体が差っ引いていることになります。私には、これが妥当な額とは思えないのです。

 月7万円でも、故郷でよりずっといい収入になるからとやってきた研修生も、実際に日本人従業員の月収との差を知ると、途端に自分は研修生という身分だということを忘れ、日本人に差別されていると不満を抱きます。研修先企業にいる限り、毎月半分近くも差っ引かれてしまうが、ここを脱走してどこか別のところで仕事すれば給料はまるまる自分のものになる、と彼らが考えてしまうのも無理はないですよね……。
 研修生だけでなく、日本の研修生受け入れ企業にも、問題のあるところが多かったです。下町の小さな町工場など、きつい、汚い、危険のいわゆる3Kと呼ばれるところが研修生を受け入れるのです。日本人の若者はどんなに就職難でもそういう仕事を敬遠するため、町工場は慢性的に従業員不足という問題を抱えています。その点、研修生ならば月14万の研修手当てで済み、雇用契約も昇給も厚生年金等の負担も、一切が不要です。そんな目的で研修生を受け入れる企業は、往々にして単純作業や重労働などを研修生に担わせるので、外国人に日本の技能を学んでもらうという本来の目的はまったく達成されません。受け入れ企業と研修生の双方が、この制度を便利な雇用および出稼ぎの方便として悪用しているのです。そして研修生受け入れ団体も、そんな実態を知っていながら、見て見ぬふりで次の研修生を招聘するのです。

 さらに、問題があるのは日本側の受け入れ団体だけではありません。
 あるとき、現地側の研修生送り出し機関から、数日前に寄越してきた次期研修生リストをまるまる入れ替える、との通知が来ました。一度に何十人と送り込まれてくるのですが、数日前のリストの全員の都合が悪くなったため、急遽、新たに募集をかけたというのです。先輩職員によると、中国の送り出し機関がちょくちょくこういうことをして来るそうで、不都合の理由は中国側でも出発前に事前研修を行うとして全員を集めたところ、全員を乗せたバスが交通事故を起こして全員が負傷したため、というものが複数回あったとか。確かに中国は交通事故が多発する国ではありますが、いくらなんでもねぇ……。

 中国側がそんな細工をしてくる訳は、日本側の受け入れ条件を満たしていない人や送り出し機関にコネのある人材を送り込むためだとか。表向きには、公募して公平に研修生を選抜している風を装い、しかしあれこれ理由をつけては土壇場で自分の親類や賄賂をよこした人に挿げ替えてしまうのです。

 その団体で働き始めてほんのわずかな期間で、これだけたくさんの黒い疑惑が次々と出てきたため、そのままそこで働き続けることがすっかり怖くなってしまいました。綺麗ごとを言うつもりはありませんが、明らかな違法行為も含まれていて、また研修生と大立ち回りを演じる可能性もあることが分かり、身の危険も感じて早々に退職してしまったのでした。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語教師)


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