【書評】

『新・所得倍増論』

  デービッド・アトキンソン/著  東洋経済新報社・2016年/刊 1,500円+税

岡田 一郎


 著者のデービッド・アトキンソンは、元金融アナリストの知日派イギリス人で、現在は文化財修復を業とする小西美術工藝社の社長を務めながら、日本経済・文化財保護、観光政策などに幅広く提言をおこなっている。同じ東洋経済新報社から刊行した『新・観光立国論』がベストセラーになったり、ETV特集でその人物像が取り上げられたりしたので(「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」2017年4月29日放送)、その名前を聞いたことがある方は多いと思う。

 本書を読んで最も衝撃だったことは、著者が何度も念を押すように、「自分は日本経済の問題点を指摘するけれども、それは日本を思っての事であり、日本を貶めるわけではない」と書いていることであった。そのような慎重さは、金融アナリスト時代から日本経済について批判的な見解を述べるたびに「反日外国人」と誹謗中傷され、時には会社に街宣車が乗り込んできたことがあるという著者の経験からきている。

 確かに、中には日本文化を理解せず、一方的に日本を貶める外国人は存在するが、だからといって、日本に批判的な人物に対して誰彼かまわず「反日」というレッテルを貼るという風潮が現在の日本に蔓延しているというならば、それは生産的なことではない。日本の経済や社会が行き詰まりを見せ、様々な社会問題が噴出している今日、日本人とは異なる視点で解決策を示してくれる人々の声はまず、素直に拝聴すべきではないだろうか。現に日産やシャープのように外国人経営者の傘下に入った途端に経営が立ち直った例もある。

 しかし、長い停滞に疲れた日本人は、外国人から誉められ、自尊心をくすぐられることを望んでいるようだ。とある英文サイトでは、日本について次のように紹介されているという。「日本人と話したらかならず『日本はどうですか』と質問されます。尋ねている側は正直な評価を期待しているわけではないので、無条件に褒めてください。やや過剰でもいいでしょう」(本書20頁)。昨今の「日本スゴイ」的なテレビ難組の流行を見ると、さもありなんと思うと同時に、外国人からそういう目で見られていると思うと、日本人として顔から火が出るような思いである。

 著者はそのような無条件に現状を肯定するような物言いは日本人のためにならないと考えている。なぜならば、日本社会はそれまでのやり方が通じない分岐点に来ており、経済や社会の運営の仕方を180度改めなければ、日本人の潜在能力を発揮できないまま、ずるずると衰退していくだけであると考えているからだ。

 それでは、著者が考える日本の問題点とは何であろうか。それは、日本全体の数値が世界でどのような位置に存在するか(欧米を上回っているか)に比重を置き、日本国民1人あたりの数値に興味をはらわないことである。たとえば、日本のGDPは世界3位、輸出額は世界4位、ノーベル賞受賞者数は世界6位であり、日本はこれらの数字だけみると世界有数の大国である。しかし、1人当たりの数値で見てみるとGDPは世界27位、輸出額は世界44位、ノーベル賞受賞者数は世界39位に後退する。
 これまで日本は先進国の中ではアメリカに次ぐ人口大国であったため、1人当たりの数字が低くても全体としては巨大な数字となり、アメリカに次ぐ大国であると世界に誇ることが出来た。しかし、これから中国・インドといった人口大国が1人あたりのGDPを急拡大させていく一方で、日本の人口は減少する一方なので、日本の優位性は失われていくと著者は見ている。日本が今後も他の先進国と伍していくためには1人あたりの生産性を上昇させ、人口の減少をカバーする以外にないというのが著者の主張である。

 ただし、日本は昔から1人当たりの生産性が低い国ではなかった。1990年代までは他の先進国並みの生産性を有していたが、その後、他の先進国が生産性を向上させていったのに対して、日本だけが生産性の伸びが止まった。これが「失われた20年」の正体だと著者は見ている。

 それでは、日本の生産性の向上はなぜ止まったのだろうか。著者はITをうまく活用できなかった(他の国は人間の働き方をITに合わせたが、日本はITを人間の働き方に合わせた)、女性をうまく活用できなかった(あくまでも女性を男性の補助としてとらえ、女性の能力を生かしきれなかった)ことに求めており、日本の経営者に大きな責任があると批判している。高度経済成期やバブル期に現在よりはるかに良い条件下で生活しながら、そのことを棚にあげ、貧困にあえぐ若者を罵倒する経営者が日本には少なくないが、そういった経営者に聞かせてやりたい苦言である。

 ならば、日本はこれからどのような政策をとっていけばいいのだろうか。そのような具体策の話になると、著者は途端に歯切れが悪くなる。ケースによって出来ることは異なるということなのだろうが、それまでの論旨が明快だったため、本書を読むと尻切れトンボのような印象を受けてしまう。

 本書を補足するために、ETV特集で取り上げられていた著者の改革を紹介しよう。著者が小西美術工藝社の社長に就任したとき、会社にはほとんど若い社員が存在しなかった。また、修復の仕事があると職人たちに声をかけて来てもらうというやり方をとっていたため、職人たちの生活は安定しなかった。著者は職人たちを正社員とする一方で、50代で頂点になる給与体系を創設し、定年を超えた職人たちの給与を大幅にカットし、浮いた費用で若い社員を採用した。著者によれば、「若い社員が入ってこなければ会社は存続しない。お金が限られているのならば、若い社員の何倍も給与をもらっている人たちの給与をカットする以外にない」。

 このエピソードに、今後の日本が取り組むべき政策のヒントが隠されているような気がする。現在の日本は著者が社長に就任したときの小西美術工藝社と同じなのではないだろうか。すなわち、年配の役員や天下りが若い社員の何倍もの収入を謳歌し、一方で若い労働者たちは生活苦にあえぎ、結婚することも子供をもうけることも出来ず、苦しんでいる。しかし、若い労働者たちが安定した生活を送ることが出来なければ、日本という国は成り立たない。いっそのこと、高齢者向けの予算を一部カットし、若い世代に振り向けて、彼らを休養させて、購買力の向上をはかるべきではないだろうか。
 著者によれば日本人の潜在能力をフルに活用すれば、GDPは1.5倍、平均年収は倍増、税収も75兆円の増加が見込めるという。これが実現すれば、日本の財政難はたちどころに解消し、税収不足で実施できない事業も実行に移すことが出来るだろう。長期的視野にたてば、めぐりめぐって高齢者の待遇を今以上に改善することにもつながるのではないだろうか。

 (小山高専・日本大学非常勤講師・オルタ編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧