【書評】

『侵略か、解放か!? 世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』

山崎 雅弘/著  学研 2012年/刊

藤生 健


 ゲーム・デザイナーにして戦史・紛争史研究家である山崎雅弘氏の著作。本書が非常に特徴的なのは、戦争の主体として日本(自国)を置くのではなく、また日本対アメリカという視点では無く、十五年戦争に関わった諸外国の視点から各国がどのような視点と思惑から戦争に関わったのかを検証している点にある。

 日本では、これまでも膨大な数の戦史、戦記が書かれ、出版されてきたが、外国人の著書を除けば、そのほぼ全てが日本人と日本国の視点から見たものであり、そのため「侵略戦争か、植民地解放戦争か」の議論が延々と繰り返されてきた。だが、その議論はあくまでも「日本人がどう捉えるか」という主観論争になってしまい、実際に侵略ないし解放を受けた諸国の視点が抜け落ちているがために、不毛な論争に陥っている。

 山崎氏は、米英独ソ中の五大国を始め、ベトナム、インドネシア、フィリピン、ビルマ、タイ、モンゴルなどのケースを挙げ、それぞれの国がどのような情勢の下で、国際関係の中で、戦争に関わる判断を下したかを分析する。特にアジア諸国については、日本での議論では「侵略された被害者」か「解放された対象」として論じられがちだが、各国の国民や権力者がどのような情勢分析を持ち、戦略的判断を下していたのかについては、まず論じられることがないだけに、貴重な文献となっている。

 本書を読んで改めて思い知らされたことは多い。戦前の日本が外交手段を軽視し、国際紛争の解決を軍事力に頼った結果、日中戦争が勃発し、同戦争の解決についても和平交渉を軽視して軍事的解決を求めた結果、インドシナ(仏印)進駐を行って、日米関係を最悪のものにしてしまった。その日米関係についても、外交を拒否し軍事力による解決を目指して真珠湾攻撃に踏み切った。当時の日本人は、満州事変以降、自らの行動が日本の国際的地位を悪化させ、孤立させていった原因に気づいていなかった節があり、外交的解決を拒否して、泥縄式に戦線を拡大させていったが、現在の日本を取り巻く国際環境や政府の外交政策は戦前のものと酷似してきている。

 明確な戦略目標を持たずに、眼前の「国益」のみを追求した結果が、満州事変から日米開戦を経て敗戦に至る道だった。その反省として、戦後日本は「敵をつくらない」外交戦略を貫いてきたはずだが、1990年代を境に変化が生じ、2001年の9・11テロ事件を経て再び近視眼化が進んでいるように思われる。

 これは本書の内容ではないが、1941年7月、独ソ開戦を受けて、日本は日ソ中立条約を破棄してシベリアに侵攻しようと予備動員を行った(関東軍特種演習)。その背景には、ナチス・ドイツへの便乗の他に、「ウラジオストクにある戦略爆撃機が東京を航続半径内(1500km)に収めているから、ソ連機の空襲を受ける前に叩け」という「軍事専門家」たちの「警告」が世論を支配していたことがあるという。だが、実際に東京を空襲したのは、アメリカだった。「歴史は思わぬ方向からやって来る」(宮崎駿)だが、あれから70年を経ても世間には同じような話が溢れている。

 本書は、歴史が現代に通じるものであるという、様々な示唆を与えてくれるはずだ。惜しむらくは、版元で品切れになっているので、文庫本などでの再版が待たれる。

 (評者はプログレス研究会代表・オルタ編集委員)


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