【書評】

『中国式離婚』

上村 ゆう美


●「中国式」を生んだ『中国式離婚』

 『中国式離婚』は中国で婚姻関係を描かせたら右に出る者はないと言われる女性作家・王海鴒の出世作である。2003年に出版、2004年にドラマ化、多くの読者と視聴者の共感を呼んで大ベストセラーとなった。
 この『中国式離婚』の大ブーム以降、中国では「中国式○○」という表現が使われるようになり、2012年の「中国式過馬路(中国式道の渡り方)」以来、一気に流行した(*)。「中国式挿隊(中国式割り込み)」「中国式連休(中国式休暇)」「中国式逼婚(中国式の結婚強要)」「中国式買房(中国式住宅購入)」などで、いずれも元ネタは『中国式離婚』である。もちろん、ご本家の「中国式離婚」も流行語になった。もっとも、流行語の「中国式離婚」は「軽い気持ちで結婚し些細なことで別れる」といったニュアンスで使われており、本作品に描かれる離婚とは大いに異なる。それでも『中国式離婚』が中国社会に与えた衝撃の大きさを物語る証拠の一つとして見るのは差し支えないだろう。

 今でこそ、離婚を扱った小説やドラマは多いが、その中でも現代中国人の離婚事情を深く掘り下げ、一種の社会現象を引き起こした『中国式離婚』は金字塔的作品といえるだろう。このような作品が南雲智、徳泉方庵両氏により翻訳出版され、日本語で読めるようになったのは喜ばしいことである。
 (*)趙蔚青「2012年中国の新語・流行語」『日中語彙研究』vol.2, 2013.3, p134-135

●『中国式離婚』の着想と主軸の物語

 本作品が中国で多くの読者と視聴者を獲得した背景には、王海鴒の問題意識が関わっているようだ。『南方週末』に掲載されたインタビュー記事「残酷な中年」(2004年9月9日)によれば、王海鴒は不倫をテーマにして話題になった前作『牽手』の後、次の作品を模索する中で「婚姻関係の崩壊後、私達はいつも男性側が悪かったと思いたがるけれど、実は女性側にも問題があるのでは?」と考えるようになり、中年以降に離婚した複数の男性を取材した。中年を選んだ理由を王海鴒はこう述べる。「(人生において)中年は最も惨めです。若い人は希望も時間もあるので、やり直しがききます。老人になれば諦めがつくし、すでにそれなりの形も持っていて、今更希望など持とうと思わないから、苦しむこともありません。でも中年の人達は違います。希望はこれといってないけれど、のたうち回るんですね。だからこそ、この時期を描きたいと思ったのです。」取材していく内に、王海鴒は男性の語る妻像に、ある共通点があることに気がついた。夫を「龍」(今風に言うなら成功者)にしようと尻を叩いて、夫の栄達にあやかろうとする妻が実に多く、しかもそうした女性にはいざ夫が「龍」になると今度は自分を見失って夫を恨むようになる者が少なくないという事実である。一方で妻の要求に応えられず「龍」になれないため結婚生活に見切りを付けた男性も少なくない。作者はこの取材結果に着想を得て、主軸になる30代後半の中年夫婦の物語を紡いだ。

 物語の主軸として描かれるのは、国立病院の外科医の夫・宋建平(38歳)と小学校教員の妻・林小楓(35歳)の結婚10年目の夫婦で、就学前の息子・当当(6歳)がいる。息子の教育費に随時頭を悩ませている小楓は建平を「公務員の身を捨てて、妻と息子のために背水の陣を布いて、果敢に打って出る度胸」がない「IQは高いが、EQは低い」人間と見なして強く失望し、不満を募らせており、ことある毎に夫のふがいなさを責め立てる。建平は温厚篤実な人柄で、国立病院でも実力を認められている中堅の優秀な外科医であり、帰宅後は料理も子育ても分担し、妻にも誠実な申し分のない夫であるにもかかわらずだ。

 しかし、本作品を読み進めていくと、小楓が不安を抱き夫に不満を持たないではいられないほど、彼ら家族にとって中国社会の現状が厳しいことが感じられるはずである。作者も彼らの状態を「現在、彼らは荒れ狂う強風にさらされている藁小屋にいるようなもので、持ちこたえるすべがなく、いつ吹き飛ばされてもおかしくない状況にあった」と説明している。国家幹部の身分と地位が保証されている彼らに絶対的に足りないもの、それは経済力である。オシャレも車も家も、良い学校にかかる費用も、誰もが良いと認めるものは公務員の給料では持ち得ない。結局、建平は小楓の勧めを受け入れ、家族のために外資系病院に移るのである。
 建平は新しい職場で高収入を得て、専門知識と実力、人柄でまたたく間に上司や周囲に信頼され、病院になくてはならない存在となっていく。小楓が望んだ「龍」となったのである。しかし「龍」の妻の方は、「鳳凰(成功者に相応しい伴侶)」に変身できなかった。

 小楓の誤算は、夫が「龍」になり、経済力を得て生活が安定しさえすれば、家族の問題は全て解決すると考えていたところにあった。本当に彼ら夫婦に必要なものは何だったのか。ぜひ、本作品を読んでみてほしい。中国と日本の社会環境は大きく異なるが、同じ人間同士、最も根本の夫婦関係は共通である。夫婦関係にとって大切なものは意外に同じで、我々も見逃しがちなものかもしれない。

●中国社会を理解する手がかり

 更にこの物語に彩りを添えるのが、世代の異なる2組の夫婦である。中国は建国以来社会の変化が激しく、そのために世代毎に価値観が大きく異なる。1組目は20代後半の友人で新婚の劉東北・娟子夫婦だ。彼らは「80後」と呼ばれる世代で、一人っ子政策施行後に生まれ、価値観が激変する中で両親祖父母に溺愛されて育ち、まともな高等教育を受けることが出来た第一世代でもある。暮らしぶりも派手で、結婚しても愛がなくなれば離婚、といった結婚観を持っている者も多い。夫婦二人とも一人っ子なので、子どもが生まれればお手伝いさんや保母さんを雇い、あるいは両親が熱心に孫の世話をするのが当たり前になっている。もう1組が小楓の両親である。建国初期の社会主義教育を受け、大躍進や大飢饉を体験、反右派闘争や文化大革命の嵐の中で結婚し、社会主義的倫理にガチガチに縛られ周囲の監視を受けながら子育てをした世代である。劉東北・娟子夫婦と小楓の母親は好意から建平と小楓に様々なアドバイスをする。世代間の恋愛観や経済感覚その他の価値観の違いが良く現れていて、これも本作品の見どころである。

 中国では改革開放政策の経済発展に伴い、人々の価値観の変化が顕著である。価値観は人の目には見えないから本来理解するのは難しい。でも「中国式」の元ネタとなった本作品ならその手がかりを与えてくれるかもしれない。
 ただし、あくまでも中国人向けの小説なので、中国人には常識的な知識については本文中にはまとまった解説はない。従って、本書を読むに当たっては、少々ルール違反ながら、まずは「訳者あとがき」を読むことをお勧めしたい。作者の経歴についての詳しい紹介、『中国式離婚』が中国の読者と視聴者に広く受け入れられた背景、中国の離婚事情などの解説が載っている。これらの知識を頭に入れて読む方が、本作品を理解しやすいだろう。

 (評者は京都市在住・中国現代文学研究者・博士(人文・社会))


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