【本を読む】

『中国と南沙諸島紛争 問題の起源、経緯と「仲裁裁定」後の展望』

  呉 士存/著  朱 建栄/訳  花伝社・2017年4月/刊

訳者あとがき――解説に代えて(抜粋)

朱 建栄

 著者の高名は前から知っている。呉士存先生が院長を務める中国南海研究院は海南島の海口市にあり、その前身は1996年に設立された「海南南海研究中心」で、2004年、国務院の認可を得て現在の名前に改名し、中国で最も権威ある南シナ海問題の研究機関である。日本とも交流が多く、笹川平和財団と同研究院は協力関係にあり、複数回の日中共同シンポジウム、トラック2(半官半民)討論会が開催され、呉院長本人も日本記者クラブで記者との懇談をする(2016年6月)などマスコミや学界、政府関係者との交流に意欲的に参加している。訳者は中国の書店で本書の原著『南沙争端的起源与発展』(改訂版、中国経済出版社2013年)を見つけたが、著者の来日の際にこの本を日本の読者に紹介したいと申し入れ、快諾を受け、日本語版の翻訳、出版の運びになった。

 ただ、原著は数年前に中国で出版されたので、著者に対して、南シナ海をめぐる紛争が一段と激化したそれ以降の動向に関する分析も付け加えてほしいこと、数か月後に出る予定だった「仲裁裁定」に関する論述も追加してほしいことを要望したが、これも承諾してくれた。その後、年末にかけて、追加の原稿が数回にわたって届いた。翻訳作業が増えたが、歴史を踏まえ、最新の動向にも触れる「重厚感」と「タイムリー」の両方を兼ねた本になったと手ごたえを感じた。

 実は原稿を出版社に送った2017年初め、著者から再度、追加の原稿が送られ、「必ず最後の部分に付け加えてほしい」とのエピソードがあった。読者の目に触れるまで常に推敲を加える、という古来の学者魂であるとともに、中国の南シナ海をめぐる認識と対応は「仲裁裁定」後も、絶えず修正し深化していることを強く感じた。

 南シナ海問題研究の中国側の第一人者として、著者は多くの頁を割いて、南シナ海問題の歴史的経緯に関する中国の見方、昨今の南シナ海問題の本質とその行方に関する中国側の分析を行ったことは言うまでもない。本書第4章で紹介されたように、1992年、南沙諸島の最西端にある海底盆地である万安灘(バンガード堆)の石油開発をめぐって中越間で激しい論争が起こったが、開発の話を中国に持ちかけたのは米国のクレストン・エナジー社(Crestone Energy Co. 現 Harvest Natural Resources, Inc.)だった。同社は1988年から南シナ海の石油開発に携わったが、どの国がこの海域の領有権をもつのかについて2年以上かけて、マニラ、シンガポール、クアラルンプール、コロンボ、ハワイ大学、ホノルル・イーストウェーストセンター、広州など各国の図書館と研究機関を回り、調査した結果、同海域の主権と管轄権は中国に属するとの結論に至り、それで中国海洋石油総公司(CNOOC)に共同開発を持ち掛け、石油開発契約を結んだ。

 その後、ベトナム側の再三の妨害を受けて協力は頓挫したが、関係諸国の資料を比較した上で、同群島と海域は中国の領有に属するとの独自な判断が出された歴史事実に変わりはない。中国の事情に詳しい日本のあるシニア外交官も、「各方面の資料を調べたが、中国の主張に一理ある」と個人的に話してくれた。南シナ海への中国のかかわりと主張に関して、本書はおそらく一番体系的に整理し、検証しているので、中国に対する好き嫌いと関係なく、あるいは中国に反論・批判するためにも、本書の内容をじっくり読んでいただきたい。

 それ以外に、訳者は本書の翻訳作業を進める中で、次のような新味と注目すべき点を見出した。

●一、「9段線」が形成されるに至った経緯とその意味の検証。
 日本では「9段線」なんてこれまで中国以外で聞いたこともなく、勝手に引かれたものだとの批判があるが、実は日本の多くの地図、年鑑、百科事典にもそれが採用されていた(第3章を参照)。本書ではそれが20世紀の20~30年代に使われはじめ、1947年に確定したこと、任意に地図上で線を引いたのではなく、一定のルールに沿って使われたことについて詳しい検証がなされた。特に「9段線」の定義について、中国国内でも4種類の解釈があることを紹介し、「9段線」の中のすべての海が中国の領海とは言えないとはっきり結論付けた。2016年7月12日(「仲裁裁定」が出た直後)に出された「南中国海の領土主権と海洋権益に関する中華人民共和国政府の声明」の中で「9段線」以内の中国の持つ権利について初めて系統的に定義された(台湾側は1994年、「9段線」に関する定義を出した)が、これまでの経緯は本書が日本で初めて紹介・検証したものである。

●二、中国以外の関係諸国の主張と動向に関する紹介。
 日本では南シナ海問題に関して中国批判ばかり行われているが、実は中国と係争中のベトナム、フィリピン、マレーシアなど沿岸国の主張、言い分はほとんど整理・紹介されていない。本書でこれら諸国の主張を列挙した上で、冷静に反論を加えている。著者は相手国の主張についてただ感情的に否定・批判するのではなく、その欠陥と問題点を国際法に則って分析し、「それに一定の理屈があるが、中国の主張に勝るものではない」との判断を下している。そして、中国と関係諸国の主張と立場を比較・説明した上で、双方の今後の妥協・歩み寄りの可能性についても言及している。ほかに、米国、日本、インドなど域外諸国の近年の動向及びその主張の背景と狙いなどに関する分析も行われたが、それに関する中国の見方を知るうえでかなり参考になる。

●三、日本での出版を念頭に、日本と南シナ海問題とのかかわりについて多く検証された。
 著者はこれに関して原著になかった内容を多く付け加えた。一つは20世紀30年代、当時の日本政府は西沙などの諸島嶼は中国領だとの認識を持っていたこと、大戦中に南シナ海諸島嶼を占拠して「新南諸島」として台湾の管轄下に置いたが、終戦後、西沙、南沙に駐屯していた旧日本軍は海南島駐在の中国軍に武器を引き渡したこと、1952年の「日華条約」は特に西沙と南沙が中国領であることを示す国際条約上の重要性をもつと指摘し、検証したところは是非一読を薦める。この経緯が分かれば、日本は南シナ海問題に関して過度に首を突っ込むべきではないとの結論は自然に出てくる。

●四、「仲裁裁定」の結果に対する検証。
 2016年7月12日に「仲裁裁定」の結果が出た直後、中国側は猛烈に怒り、元高官はそれを「一枚の紙くずだ」との感情的な表現も使った。その後、日本では、この裁定の内容について、特に中国の主張がいかに否定されたかの角度で紹介されたが、裁定結果自体にどういう問題と欠陥があるのか、どこまでどのような拘束力をもって南シナ海問題の行方に影響を及ぼすのか、これについてほとんど伝えられていない。本書は「紙くず」といった感情的な表現を使わず、中国側の観点だが、国際法の立場に立って「仲裁裁定」に対する詳しい分析と反論を加えている。訳者の要望に応えて、著者はこの部分を本書の日本語版のために書き下ろしてくれた。

 また、今回の裁定によって日本や米国の自国のEEZに関する主張が挑戦を受けるという「予想外の波紋」も本書で検証されている。日本側は沖ノ鳥島の領有によって全陸地の国土よりも広いEEZを設定できると主張してきたが、その根拠を完全に失う苦境に追い込まれたとする矢吹晋氏などの研究が引用された。このほか、オバマ政権時代にNSCのアジア上級部長を務めたジェフリー・ベーダー氏は「この基準に従えば、太平洋地域にある米国の多くの『島』は『岩』となり、EEZを持てなくなる。米国自身がこれらの『島』を再定義しない限り、南海の係争国に道徳的な模範を示せない」と認めた、などの動向も紹介されている。

●五、南シナ海問題の行方に関する中国側の本音を語ったこと。
 本書の第4章に、次のような興味深い一節があった。

そもそも中国の発行した国内の地図に表示された断続線は「未定国境線」であり、国際社会向けに出す臨時的境界線としての性格を持つ。領土紛争を抱えるどの国も、南海に対して主権の要求を出すほかの国も含めて、交渉に臨む前に自国の地図に、最終的に争議を解決した場合の妥協案に示される境界を大幅に超過することは各国の通常のやり方である。まして中国は地図の上で断続線の臨時的性格を明確に示している。
 この一節には、①「9段線」は中国側の権益主張として、他の関係国との交渉に入るまでの「掛値」的な性格をもつこと、②他の国も同じように「最終的に争議を解決した場合の妥協案に示される境界を大幅に超過する」主張を出していること(ベトナムもほぼ南シナ海全域の主権を主張している)、③「9段線」は「国際社会向けに出す臨時的境界線としての性格を持つ」ので、交渉次第、変更がありうる、というニュアンスが込められているように思われる。

 実際に中国の陸上国境でも、交渉相手同士でそれぞれ「掛値」すなわち最大限の権利を主張しつつ、最終的に歩み寄り、妥結にこぎつけ、今はインドを除いてほぼ全部の隣国と国境問題を解決した。1969年に「珍宝島事件」(中ソ間の国境をめぐる武力衝突)、1979年に国境戦争をそれぞれ経験した中国とロシア、中国とベトナムの間に、いずれも陸上国境の画定条約が調印された。中印国境でも、インドの旧宗主国イギリスが一方的に引いた「マクメホンライン」を認めないのが中国の立場であり、中国の地図はいまだにこのラインの向こう側の9万平方キロが自国領とする暫定的国境線(やはり断続線)を描いているが、中印両国の間で実際は「現状維持」との暗黙の了解に基づいて交渉が進められている。

 2016年後半、特にドゥテルテ大統領就任後のフィリピンとの間に、中国は柔軟な外交を進めており、係争海域の共同開発、共同パトロールを提案し、合意に至っている。その意味で、南シナ海問題の行方について、「中国は絶対、南シナ海全域を支配する」との先入観で見るのではなく、「固い原則と実際対応の柔軟性」を兼ねる中国外交の特徴、両国間の信頼関係を醸成しつつ領土問題を解決するという中国外交の手法なども理解した上で見通しを立てなければならない。

●六、サプライズだった著者からの「ラストオーダー」。
 前述の通り、本書の翻訳はほぼ完了し、出版社に原稿を出した直後、著者から追加の原稿が届き、本書の締めくくりの部分にぜひ付け加えてほしいとの要請を受けた。その内容は中国外交部傘下の『世界知識』誌の2017年新年号(年末発売)に掲載されたもので、訳者はそれを読んで、中国の立場と考えを理解しているつもりだが、それでもサプライズを感じる内容だった。著者は南シナ海問題の行方について、四つの提言を行ったが、その一つは、

 「米国との「新型大国関係」の枠組みの下で、両者の間の新型軍事関係を構築していく。南海問題において、双方は誤断を回避し、対決を減らし、危機を管理することに取り組み、米側の過度な「自由航行作戦」と中国側の島嶼建設の過度な軍事化によって摩擦ないし衝突が生じる恐れを何よりも避けなければならない」

である。この中で、「米側の過度な自由航行作戦」と「中国側の島嶼建設の過度な軍事化」が並列して「摩擦や衝突が生じる」ことを招きかねないファクターとして列挙され、「避けなければならない」と提言されたことは実に興味深いし、目の前が一新する感じがした。

 米国「FP(Foreign Policy)」サイトに2016年6月23日、「中国内部の南シナ海をめぐる闘い(The Fight Inside China Over the South China Sea)」と題する論文が掲載され、中国の指導部(政府と軍を含めて)とオピニオンリーダーたちは南シナ海問題の対応をめぐって現実派、強硬派、穏健派という三つのグループに分かれていること、三者とも埋め立て作業を支持しているが、その上でどうするかをめぐって意見が分かれていることを分析した。

 自分の知っている限り、中国国内では、2002年のDOC(南シナ海行動宣言)合意以降、胡錦濤主席の時代(2003~12年)を通して、首脳部は南シナ海で島の埋め立ても油田開発もやらず、「維権」(権利の確保)より「維穏(関係諸国との穏便な外交保持を最優先)」の方針を取ったが、その傍ら、ベトナム、フィリピンなどはどんどんと開発・埋め立て・軍事配備を進めた。これに対して、中国の内部ではフラストレーションが高まり、「このままだと、本来中国に属する権益は沿岸諸国に完全に乗っ取られてしまう」との危機感が募っていた。それ故、2012年末以降の習近平時代に入ると、南シナ海をめぐる中国の対応が振り子のように、一挙に反対方向に出て、大規模な埋め立てに踏み切った。この措置に関して、現実派も強硬派も穏健派も異論がなかった。

 ただ、これからどうするか。軍事衝突を慎重に回避しながらも人工島の防衛施設建設を着実に推進すべきとする現実派、黄岩島(スカボロー礁)の埋め立てを含め、一気に大規模な軍事化を進めるべきと主張する強硬派、今後はアセアン諸国との関係修復を優先にし、南シナ海問題をめぐる現実的な妥協に応じるべきとする穏健派、という三種の意見相違が現れている。同論文は「現時点で強硬派の見解は中国の最高指導部に受け入れられていない」と分析した。

 トランプ米新大統領が「アメリカンファースト」のスローガンを掲げたのをしり目に、習近平主席は2017年1月中旬、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)で行った基調講演で、「開放・ウィンウィンの協力モデル、公正で合理的なガバナンスモデルを築く」よう呼びかけ、「人類運命共同体の意識を確立せよ」と強調した。続いて国連ジュネーブ本部での講演においても、習主席は、平和・共通利益・Win-Win・包容といった理念を語り、中国は国連を中心とする国際メカニズムを守り、国連憲章を礎とする国際関係の基本原則を守り、多国主義を支持すると表明した。

 同じ月に中国国務院新聞弁公室が発表した「中国のアジア太平洋安全保障協力政策」と題する白書も、既存の地域多国間枠組みの健全化、国際法と国際秩序に則って一連の制度とルールを早期制定、意見の相違と矛盾を平和的に処理し、紛争の激化を防ぐなど6項目の「安保協力政策」を打ち出した。

 このような文脈の中で著者の『世界知識』論文はさらに、南シナ海沿岸諸国の共通努力の方向として次のように提言した。
 「『南海沿岸国協力メカニズム』設立の可能性を検討すること。重点的な取り組みは、南海におけるサンゴ礁の修復、持続可能な漁業資源と生物多様性の保護などの領域の協力に置く。このような協力は相互信頼を強め、衝突を避けるのに有利だけでなく、南海は周辺諸国の『共通な庭』(「共同家園」)になるという運命共同体の意識を育成していくプロセスにもなる。」
 南シナ海が沿岸諸国の「共通な庭」になるようにという大胆な提言、それが習近平主席の語った「人類運命共同体」の理念と結び付けて提唱されたことはこれまでなかったことだ。中国外交は今後、「責任ある大国」を一段と意識し、南シナ海問題をめぐる各種の主張の中で穏健派の考えを支持し、紛争の激化防止、沿岸諸国との関係強化、新しい枠組み作りに取り組むという方向に向かって模索していくのではないかと期待されている。

 2017年3月8日、王毅外相は全人代の期間中に行われた記者会見で、「過去1年、南中国海は波立ったが、最終的に穏やかになってきた。情勢はいくらか緩和したのではなく、著しく緩和した。これは中国とASEAN諸国の共同努力の結果であり、地域にとっても世界にとっても幸いなことだ」、「現在、南中国海における関係国の行動宣言(DOC)は全面的かつ有効に実行に移され、具体的争いはすでに直接の当事国による対話と協議による解決という正しい道に戻っている。われわれはまた、ASEAN10カ国と南中国海における行動規範(COC)の協議を進めており、共に同意する地域ルールを制定しようとしている」と語った。

 もちろん、南シナ海問題の行方をあまり楽観視してはならない要素はまだ多々残る。米軍が「過度に頻繁な自由航行作戦」を繰り返したり、域外大国が同海域で「共同パートロール」に踏み切ったりすれば、中国国内のナショナリズムと解放軍内部の不満が再度噴出し、それに押されて、中国は南シナ海問題で再び強硬に出るシナリオも排除できない。
 一縷の光として、トランプ新政権と中国の間に、南シナ海への対応をめぐって、緊張をエスカレートさせず、軍事衝突を防ぎ、外交交渉による解決という点で初歩的な合意に達した。

 南シナ海に比べて、東シナ海方面はかえって不測の事態が起こりそうな雰囲気である。最近、元自衛官小西誠氏著『オキナワ島嶼戦争――自衛隊の海峡封鎖作戦』(社会批評社)を読んだが、自衛隊の南西諸島配備は「尖閣戦争」に備えると合理化しているが、実際は「米軍のエアシーバトル(軍事戦略)に合わせた対中抑止戦略の本格的発動態勢づくり」であり(104頁)、「米中経済の緊密化の中で、(中略)日本・自衛隊を中心にした『東中国海戦争』となりつつある」(173頁)と指摘されたことに強い衝撃を受けた。日中間では不測の事態を防ぐ最低限の相互通報メカニズム「東シナ海海空連絡システム」の早期合意が求められている。

 形成途中の中国の海洋戦略は確かに不透明な部分がある。ただそれを最初から脅威、潜在敵と決めつけて過剰な対立行動を取ると、中国側の強い反発と警戒心を呼び、緊張は一層高まる可能性がある。まさに「自己実現的予言(Self-fulfilling prophecy)」である。

 中国外交政策の決定に影響力ある傅瑩・全人代外事委員会主任委員は、17年3月4日の記者会見でいみじくも次のように語った。
 国際的な役割、国際的なポジション、といった概念は中国にとってまだ新しい課題であり、中国もそれを模索し、実践していく過程にある。

 中国が現代化プロセスを進めていく延長線上、民主化、国際法の順守、国際システムの中で発展する、という選択肢しか残っていない。このような世界と中国の大きな流れをまず見極め、南シナ海問題を含め、中国の行方に対してもっと幅の広い観察力と柔軟な対処能力を身に着けなければならない。

 以上に列挙した著者の深みある観点を理解した上で本書を通読すれば、その面白さも倍増する。それが、この後書きが「解説に代えて」として長く書いた理由でもある。

 (東洋学園大学教授・オルタ編集委員)


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