【沖縄の地鳴り】

「辺野古が唯一」の欺瞞

大山 哲

 在沖米海兵隊辺野古新基地建設の賛否を問う沖縄県民投票(2月24日)の結果が、間もなく判明する。
 さまざまな政治的思惑が絡み、あわやの瀬戸際に立たされたが、当初の賛成、反対の二択から、曖昧な「どちらでもない」の三択が加わって、全県投票が実現することになった。

 18年9月の知事選で、辺野古新基地反対を掲げて圧勝した玉城デニー知事。民意に支えられた県政をまったく無視して、政府は埋め立て地への土砂投入の強硬手段に出た。何がなんでも県民投票が行われる前に既成事実を突きつけ、県民の間に「あきらめ」感が広がるのが狙い、と思われる。
 政府に無視され続ける玉城県政にとっては、県民投票は辺野古反対の主張の正当性を再確認するための頼みの綱であろう。法的拘束力はなくても、民主主義の真価を問う、重要な政治選択である。国内外からの注目、関心も高まっており、波及力は予想以上に大きいと見る。

 ただ、県民がどのような意思を示そうと、現実には、国の辺野古をめぐる強引な政治手法を変えさせることに期待するのは難しい。県との対立はさらに深まり、再び泥沼の裁判闘争に突入することが予想される。いつまで続くかわからない「沖縄の苦悩」が憂慮されるのだ。

 安倍政権のもとで、決まり文句となった「辺野古が唯一の選択肢」は、日米同盟や普天間基地代替地として、果たして不可欠、妥当なものなのか。この時点で、経緯をたどりながら問うてみたい。
 かつて、日米同盟にとって沖縄の米海兵隊の位置づけを問われた当時の森本敏防衛相が「軍事的には辺野古でなくてもいい」と発言して、注目された。
 また、小泉首相はじめ歴代政権が、本土での代替地を打診したが、いずれも地元の強い反対にあい、断念した事実がある。安倍首相も16年2月2日の衆院予算委で「本土の理解が得られない」と答弁した。
 そのことから、元々は「辺野古が唯一」ではなかったはずなのだ。なぜ政府は、本土では地元の反対にあうと後ろに引くのに、沖縄にはこうも強硬なのか。

 「辺野古に基地はつくらせない」との民意をまったく無視して、国は問答無用の強権で埋め立て工事を進めている。ついには、海面への土砂投入の挙に出た。現場を見た多くの人たちが、思わず「辺野古の海が泣いている」と叫んだ。理不尽な差別政策へのやり場のない無念ではないのか。
 「沖縄に寄り添う」「基地負担軽減に取り組む」と言い続けてきた安倍首相の言辞にも微妙な変化が見られる。1月28日の施政方針演説で「辺野古が唯一の選択肢」の理由として、ことさら、沖縄の米海兵隊の「抑止力」を強調した。抑止力が独り歩きすればするほど、基地負担の軽減は後退してしまうのではないか。

 在日米軍基地の約70%を占める沖縄が、日米安保の重要な役割を担わされているのは事実。その抑止力の機能は、極東最大の嘉手納空軍基地であって、在沖米海兵隊ではない。海兵隊の装備が、抑止力の機能を保持していないことは、多くの軍事専門家が指摘するところである。
 なのに、政府が辺野古新基地建設を強行する論拠として、在沖米海兵隊の抑止力を金科玉条に掲げる理由はなにか。
 近年の中国の軍事力強化と海洋進出、尖閣や台湾有事などを想定し、これに対抗する日米同盟の親密化を演出すること。政府は、海兵隊のための辺野古新基地を構築しながら、並行して防衛省は、自衛隊の南西諸島地域への軍備増強を進めている。新たな防衛大綱や中期防(2019-23年)でも、明確に「島しょ防衛」を位置づけ、奄美から沖縄本島、宮古、石垣、与那国に至る琉球弧に、ミサイル部隊などの配備計画を着々と進めている。

 岩屋防衛相は、辺野古新基地と自衛隊の島しょ防衛を結びつけて、政府の見解を発表した(18年12月15日)。曰く、「日本防衛の最前線は南西地域だ。抑止力を減退させるわけにはいかない」「辺野古移設は日本国民のためだ」と。
 「海兵隊は必ずしも辺野古でなくてもよい」と明言していた森本氏(現・拓殖大学学長)も、安倍政権の軍事路線への忖度なのか、まるで辻褄を合わせるように、真逆の「辺野古は唯一の選択肢」(1月27日)と、前言を覆したのである。
 しかも「米海兵隊は、尖閣を含む有事に、自衛隊とともに抑止力になる」「日本全体の国益と国民の安全を考えて」と、極言してみせた。
 当然のことながら、地元からは猛烈な反発の声があがった。「国民の安全のためなら、沖縄は犠牲になってもいいのか」、あるいは「基地に反対する県民は、日本国民ではないのか」と、過剰とも取れる敏感な拒否反応である。

 政府の日米同盟を軸とする安保政策は、ことごとく国民や県民には知らされず、秘密裏に事が進められている。
 その典型的な事例がある。防衛省は、石垣島が敵国軍に占領されたことを想定。ひそかに自衛隊による奪回作戦計画を立てていた。
 12年の「機動展開想定概要」に、その具体的戦闘内容が記述されていたことが18年11月2日の参院安保委で明らかになった。
 かつての沖縄地上戦を思い起こさせる生々しい描写で、寒気を催させるものなのだ。しかも、住民への影響には全く触れていない。逃げ場を失った住民はどうなるのか。恐れるのは、沖縄が「軍事の要石(かなめいし)」として永続的に定着し、果ては「捨て石」にされることだ。

 抑止力はきわどい軍事均衡の上に成り立つが、抑止と挑戦・挑発は紙一重である。いつも衝突や戦闘の危険性を秘めている。最悪の場合、際限のない軍拡競争に陥るからだ。
 辺野古に「抑止力」の大義名分を与えてはならない。

 (元沖縄タイムス編集局長)
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