「歴史認識」と「洗脳教育」を如何に超克できるのか?

                                    李 鋼哲

 近年、日本と韓国および中国との関係は厳しい冷え込み状況に陥り、なかなか解決の糸が見つからない。この問題は日本と中韓両国との関係だけの問題にとどまらず、米国政府も巻き込み、欧米世論も巻き込んだ世界的な大論争に発展した。1月のダボス・フォーラムでも安倍首相の基調演説に対し、司会者が質疑応答で取り上げるほどになっている。その根底にあるのは歴史認識の問題にほかならない。靖国神社参拝の問題にしても、領土・領海問題にしても、歴史認識問題の延長線上に生まれた派生的な問題であると筆者は見ている。
 この問題について筆者は、自称「アジア人」として、国家・民族を超えた意識に基づいて「不偏不党」の視点を提示したい。一つは、歴史の複雑性と歴史認識の多様性について、もう一つは、歴史教育の「洗脳性」について、私見を述べたい。

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歴史の複雑性と歴史認識の多様性について
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■歴史の複雑性

 筆者は歴史学者ではないが、歴史とは相当複雑であり、勉強すればするほど面白くなっていることに気づいた。歴史というのは、それを見る、あるいは解釈する主体者によってその事象が異ってくる。歴史のなかに生きた人の経験は千差万別である。さらに、歴史を動かしている人々、歴史を評価したり、歴史を書く人々の立場や考え方には複雑な要素が絡んでいる。したがって、歴史は複線であり、単線で単純なものではないことは自明の理である。歴史に対する認識や見方には多様性があることを認めざるを得ない。そして、歴史は動くものであり、したがって歴史に対する認識も時代(歴史)の変化に伴い変化する。このことを哲学では歴史弁証法という。

 中国で生まれ育って、教育を受けた筆者の個人的な体験から言うと、日本に関して、または日中歴史関係についての認識は時と共に変化してきたのである。
 1960〜70年代、子供であった筆者は、田舎にいても「共産党の抗日戦争」(当時、政権党であった国民党は抗日に消極的であったと教育されていた)の映画をたくさん見てきた。でも、子供だったので、ただの戦争ごっこにしか受け止めなかった。映画の焦点は共産党の八路軍と新四軍が如何に日本軍と勇敢に戦って勝利したのか、日本軍は如何に三光政策を実施したのか、にあった。

 1972年に日中国交正常化したが、田舎の人々はそのようなことはあまり知らなかった。ただし、学校教育では抗日戦争の映画を見せる時に、先生は「日本の中国侵略は一部軍閥主義者たちによるものであり、日本国民も被害者であり、日本国民は我々と同じ無産階級(プロレタリア)なので団結すべきであり、憎むべきではない」と教え、そのまま信じた。おそらく、そのような教育指針が政府から出されたと推測できる。

 そして、偶然にも小学生の頃、日本人に初めて接する機会があった。1969年頃、ある有名な画家の家族が地元の都市延吉市から私の住んでいる村に下放されてきたのだが、その画家の奥さんが日本人であった。「文化大革命」の真っ最中であり、知識人や外国と関係がある人達は悪者扱いされ批判の対象になる時代であった。

 しかし、村に来たその家族は不思議なことに批判の対象とはならなかった。村人達は誰一人、日本人の奥さんを悪者とは思わなかった。逆に、その礼儀正しさ、優しさを村人達は尊敬しており、仲良く過ごしていた。その家の末息子が小学校の同級生だったので、私はいつも神秘感(日本人的な生活スタイルに対して)を持ってその家に遊びに行ったりした。

 私が高校を卒業して大学受験に4年間もチャレンジするうちに、外国語の試験が加わったため、日本語の本一冊を持って、「日本語を教えてください」と、友達のお母さんに頼んだら、すぐ承諾してくれた。日本語の仮名の読み方から教えてもらった上で、独学で日本語を勉強した。

 大学生の時には、専門は哲学であったが、引き続き外国語として日本語を独学し、大学に来ていた日本人留学生(日本では社会人)と初めて日本語会話を試み、そのうち親しい友人になり、中国語と日本語を混じりながら会話し、周りの友達とも混じりながら交流していたが、誰一人、日本人だから嫌いという人はいなかった。逆に、日本人と親しく交流できる私は周りの学生から「日本通」と言われた。その後も日本友人との交流はずっと続いていた。これが1980年代の北京での私の日本人体験であった。つまり、毛沢東時代と小平時代までは「反日教育」、「反日」は中国では非常に限定的であったということを物語っている。中国で「反日教育」が盛んになったのは1990年代の江沢民時代からであることは周知の事実である。

■歴史認識の多様性

 話を歴史認識に戻すと、国家間で戦争が発生した場合、必ず強いものと弱いもの、侵略者と被侵略者、加害者と被害者が出てくる。日本が中国で侵略戦争を起こしたことは否定し難い歴史的な事実である。しかし、その戦争によって侵略した側、侵略された側の両方にそれぞれの受益者と被害者がいることも理解せねばならない。どの勢力が国の政治を司るかによって、歴史認識も変わってくるのである。これは何処の国でも当てはまることだと思う。

 あるエピソードを取り上げよう。昭和39 (1964) 年7月、日本の社会党訪中団が中国を訪問し、毛沢東と会見した。社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し、日本の侵略戦争について謝罪したのに対し、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。・・・もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であったし、かれら(日本国民)の教師でもあったのです。」「過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。」と述べたという。

 この発言は奥の深い哲学的なものの考え方によるものである。中国には「因禍得福」という諺がある。禍によって結果的に福がもたらされるという意味である。日本軍の侵略は中国に大きな禍をもたらしたが、それを結果的に、そして大局的に見ると人民による新中国の誕生につながったことも事実である。

 もう一つ、「反面教師」という言葉も中国でよく使われている。仮に悪いことをしても、それを反省し、教訓を汲むことができれば、良い結果につなげることができる。毛沢東は思想的には哲学者でもあり、物事を考えるときに常に「一分為二」(一つの物事の二つの側面)という弁証法的に考えるべきだと中国人民に教えたのである。中国ではその当時毛沢東が絶対的な権威をもっており、国民の信任が厚かったので、毛沢東はそのような「ジョーク」で会談の雰囲気を変えることができたのだと思う。もちろん、その発言は外交記録にあるのみで、マスコミに発表されたわけではない。

 このような考え方で、日韓関係を見ると、もし日本の植民地支配がなかったら、今日の韓国の繁栄はなかったかもしれない。独立運動家は生まれなかっただろうし、韓国民の覚醒もなかっただろうし、朴正煕大統領のような立派なリーダーは生まれなかっただろう。しかし、もし韓国の某大統領が「日本の植民地支配に感謝する」と発言したとしたら、それは国賊扱いにされるに違いないだろう。韓国では「親日派」を徹底的に追求するキャンペーンを行ったが、それは「反日」である前に、まずは国内での政治勢力間の戦いに見えるのではないか。歴代大統領が替わるたびに、「反日」になったり、「親日」までは言えなくとも日韓関係の歴史に終止符を打とうとする、二つの勢力の争いが繰り返されている。現在の朴大統領が対日政策で強硬姿勢に出るのは、親の「親日レッテル」という負の遺産から自分のイメージを払拭したい、という心理的コンプレックスによるものと見受けられる。

 筆者なりに歴史を客観的に評価するとしたら、日本の侵略と支配により、隣国は大きな被害を被り、日本はその加害者責任から逃れられない。しかし、加害過程における受益者がいることも否定しがたい歴史的な事実である。歴史というものは完全に客観的に評価できない側面もあることも理解せねばならない。一つの民族、集団の文化としての歴史は、自分達の過去であると同時に現在と直結している自分たちのアイデンティティの整合性の最も重要な部分である。言い換えれば、歴史自体が自己とアイデンティティの主な部分を占める。だからこそ、歴史は解釈であり、勝者と為政者が自分たちの正当性やアイデンティティの形成に利用するものである。したがって、歴史は最も「作為性」と「虚為性」として粉飾される客体であり、主体でもある「文学的な物語」である、とある学者は指摘している。

 結論的に言うと、歴史認識というのは時代の産物であり、為政者が自分たちの正当性を主張するための道具という側面があることを認識しなければならない。

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歴史教育の「洗脳性」について
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 もう一つ取り上げたい問題は、歴史教育の「洗脳性」についてである。
 歴史の複雑性と歴史認識の多様性は、ある集団が政治的な目的により歴史を操作する可能性を提供している。政治家はある目的により、歴史操作(または歪曲)を行い、マスコミはそれを国民に伝える。もちろん、民主主義国家では言論の自由(研究の自由)と報道の自由が保障されているという前提で、様々な側面から歴史を検証することになっている。一方、共産主義国家や独裁国家ではそれが保障されていないというのが世間一般の認識であろう。しかし、この前提に対する考え方は本当に正しいのだろうか。筆者の答えは「NO!」である。いくつか歴史に関する洗脳教育の例を取り上げて説明したい。

 筆者は、共産主義国家中国で生まれ育ち、教育を受け、共産党員になったこともある。しかし、1980年代以降は、改革・開放政策によって西側の情報に接することができるようになり、振り返って見ると、毛沢東時代に甚だ「洗脳教育」(「毛沢東や共産党政府のやっている全てのことが正しい」という教育)を受けてきたことに気づきはじめた。共産党や政府に対しても否定的な見方ができるように変わってきた。新聞などで共産党に対して公に批判はできなくても、「洗脳教育」からある程度は脱却できたことは確かである。そのような若者達が増えたから、「民主化」を唱えるようになり、結局「天安門事件」という惨事にまで至ってしまった。筆者はその当時は大学教員として若手インテリの一人であったが、当時は北京のインテリ(特に若手インテリ)層のほとんどが学生運動を支持していた。もちろん、インテリだけではなく、デモのピーク時には200万人以上の北京市民が学生運動を声援し参加していた。これは「洗脳教育」から解放された若者達を中心とする中国人の愛国主義的なエネルギーの噴出であったと筆者は考えている。

 このような愛国主義的な若者を武力で鎮圧するような共産党が率いる中国の前途および自分の前途は、筆者には真っ暗に見えたのだ。憧れの的は民主主義国家の日本や欧米だった。当時、筆者を含む多くの若者達は、自分を育ててくれた祖国に背を向けて、出国の道を模索したのである。

 中国人の日本に関する認識で言えば、毛沢東時代の「侵略戦争は一部軍閥主義者による行為」というのは、歴史事実は別として一種の「洗脳教育」であり、江沢民時代に始まった「反日教育」も紛れもなく「洗脳教育」であった。残念ながら習近平時代にもそれは続いている。数多く作られる抗日映画やドラマ、抗日戦争記念館などは見るに堪えない。10年前に山東省威海市近くの柳公島にある「甲午戦争記念館」(日清戦争)を見学したことがあるが、その時にびっくりしたのは、日本軍が中国住民を虐殺する写真などが赤裸々に展示されていたが、それに対する歴史的なストーリの解説はまったくなかった。歴史の知識が乏しい子供達や一般民衆がそれを見ると、「日本人は如何に残虐無道な悪魔=鬼子」であるか、という印象しか残らない。過去形ではなく現在進行形になり、彼らの頭には、現在の日本人とそれが重なるはずである。だとしたら、このような歴史教育は現在の日本人に対する憎しみを植え付ける役割しか果たさない。「これは中国人自身にとっても良い教育ではない」と筆者は案内役の地元政府スタッフに異議申し立てをした覚えがある。

 これと似たような状況を筆者は韓国でも体験したことがある。「独立記念館」、「歴史博物館」などを見学したときに、子供達を引率する先生や親たちは、一所懸命に「日本が武力で韓国を植民地化した」ことを教えていた。もちろん、それ自体は歴史教育として悪いことではないし、教育すべきである。しかし、筆者が問題にしたいのは、ある国あるいは国家間の複雑な歴史や歴史認識のある側面だけを誇張して強調し、その否定的なイメージを現在の平和時代を生きる国や国民と結びつけてしまうような教育は、危険な「洗脳教育」に他ならないということである。

 韓国はすでに立派な民主主義国家なのに、未だに共産党独裁国家である中国と似たような歴史的な洗脳教育をすることは、筆者には到底納得がいかない。もちろん、筆者も朝鮮半島にルーツを持ち、親の世代は満州で日本の支配と迫害を受けた事実を子供の時から聞かされているし、感情的にはその加害者の日本人が嫌いであり、「倭寇」、「日本鬼子」は許せない気持ちはある。しかし、それはあくまでも歴史であり、今の21世紀を生きる人間としては、歴史を忘れてはならないが、未来志向で、平和志向で生きるべきであり、考えるべきではないか。

 民主主義国家である韓国では、言論の自由と研究の自由が保障されているはずなのに、近代史を客観的に研究する、とりわけ日本との関わりに関する研究者は、研究成果が歴史事実に基づいたとしても、朝鮮王朝の腐敗・堕落について言及すると、たちまち「親日派」、「売国族」の扱いをされ、罵倒されることになる。ここで、ある韓国の学者の言葉を引用する。

 金完燮(キム・ワンソプ)という評論家が、2002年に日本で『親日派のための弁明』という本を出版しベストセラーになった。本のなかで、著者は「韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。」と述べた。この本は日本支配下になる前の朝鮮王朝の暗黒な社会を赤裸々に描き出したのだ。

 しかし、著者はその言論が日本の植民地支配を美化するとして批判されるだけではなく、裁判を受けたり暴行を受けたり、様々な迫害を受けたのである。彼は別に親日派でもなく、かつては反日感情が非常に強い民主化運動家だったが、外国(オーストラリア)に一時移住して対日観が変わったと言われている。学問と言論の自由が保障されているはずの現代の先進国であり民主主義国家の韓国で、このようなことが起こるということをどう理解すればよいのか。(SGRAの読者の韓国学者達は理解できるでしょうか? もし筆者の見解が間違ったら批判してもらいたい)。

 話を日本に戻す。筆者が「天安門事件」の衝撃を受け、前途が見えない中国を脱出して、憧れの日本に来て、自由な空気を吸い始めたのは、今から24年前である。北京の大学教師の職を放棄し、日本ではアルバイトで生計を立てる就学生に転落したが、精神的な解放感を感じたのは確かである。日本では言論の自由・学問の自由が保障されている。しかし、長い間日本の社会を観察していると、日本でも「洗脳教育」が横行しているように見えてしまう。戦後の歴史教育はかなりの部分に「洗脳教育」要素があるのではないか。敗戦国家でアメリカによる支配の中で、歴史教育の基礎が定められたのではないか。マッカーサー元帥が「3S」(セックス、スクリーン、スポーツ)政策を仕組んで、日本国民の政治意識を麻痺させた、という陰謀説さえもあるほどだから。

 近年のことでいうと、北朝鮮の拉致問題やミサイル・核実験、中国の反日デモなどについて、日本のマスコミの集中豪雨的な「洗脳教育」により、日本国民の多くは北朝鮮嫌い、中国嫌いになりつつあり、近年はまた韓国嫌いにもなりつつある。それには日本の右翼が深く絡んでおり、右翼的な政治家も絡んでいることは否定しがたい事実であろう。民主主義国家、言論の自由な国家なのに、公正で客観的な議論ができず、偏向的な報道が中心になっているのではないか。周りの日本人と議論してみると、かつて洗脳された経験が豊かな筆者から見ると、彼らもいつの間にか「洗脳」されているような気がする。現代社会ではテレビの影響が大きいので、ある事件で無数に繰り返し報道すると、それに接する国民は自然に「洗脳」されていくのである。「中国と韓国が結託して優しい日本人を虐めている」という話を何度も日本人の友人から聞いたことがある。筆者から見ると、恐ろしく世論に洗脳されているとしか見えないが。

 ところで、世界で最も民主的な国家である米国にも同じような現象がある。広島・長崎に落とした原爆は正義のためだったと、戦後60数年も米国民および世界に対して歴史教育の洗脳をして来たのではないか。これについては米国の映画監督オリバー・ストーン氏が、米国の現代史を検証するドキュメンタリーにて、原爆投下の必要性について疑問を呈したことから、筆者も興味を持って歴史事実を勉強するようになった。そのほか、ベトナム戦争、イラク戦争など、多くの歴史的な出来事について、政治家やマスコミは国民を洗脳してきたのではないか。反対の意見はあってもそれはある政治勢力により圧殺されていることは否定できないだろう。

 ここで改めて「洗脳教育」を「マインド・コントロール」という言葉と絡んで吟味してみたい。「私の考え・価値観は、マインド・コントロールされて形成されたものだ」と言う人は、ほとんどいない。また、「私の言動は相手をマインド・コントロールするものだ」と言う人も、滅多にいないだろう。大方の人は、「私は正常だ」「私に悪意はない」と考え、またそのように主張する。しかし、そう主張したところで、その当否を判断するのは相手方なのだ。重要なのは、各人の「思い」ではなく、外形的事実だ。

 マインド・コントロールとは何か? 簡単に言えば、「強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術のこと」(*「ウィキペディア」参照)だろう。最も重大かつ危険なマインド・コントロールは何かと言えば、「国家によるもの」ではないか。国家は国民に対して一定の「強制力」を持つゆえ、私たちは国家に対して、さらに「洗脳」の危険性も併せて考慮しなければならない。

 民主的で、言論が自由な国でも、独裁国家とは程度の差はあれ、為政者はマスコミや教育という道具を使って、国民に対する洗脳教育をしている歴史や現実を我々は理解せねばならない。そして、まず、自分が洗脳されないように、また人々が洗脳されないようにするためには、「国民意識」からの脱却が不可欠であろう。一つ言っておきたいのは、日本や米国では学問の自由と言論の自由が保障されていることである。筆者の書いたこの文章がもし中国や韓国で発表されたら、「親日派」、「売国賊」のレッテルが貼られるかも知れない。

 筆者のいう「不偏不党」のアジア人、またはSGRAが目指す「地球市民」というのは、まさに「国民意識」を超えてからこそ、実現されるものではなかろうか。

 (著者は北陸大学教授)

著者略歴 <李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>
1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて——新しいアジア人意識の確立』(2005 日本講演)、その他論文やコラム多数。

※この原稿は2014年4月16日・23日に配信された「SGRA」から著者の許諾をえて加筆転載したもので文責は編集部にあります。


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