■岡田一郎著『日本社会党-その組織と衰亡の歴史』
合評会記録(要約)(05年7月8日・第19回戦後期社会党史研究会)

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加藤宣幸(以下、加藤):木下先生よりまず簡単に総評をしていただいて、質疑に入ります。

木下真志:

 本書の長所は何といっても、購入しやすい金額です。現在、高等学校で使われている教科書より少し高い程度の金額で買えるのは、非常に良心的だと思います。

 また、時系列的に記述されており、初心者にも親切な構造になっているのも長所といえます。戦前から今日まで書かれた日本社会党の通史というのはなかったので、20歳ぐらいで社会党のことを何も知らない学生には比較的入手しやすい本のように思われました。社会党のことを総覧する本としてはこれまでなかったタイプの本です。

 著者が隣にいて、話しにくいのですが。課題について触れますと、副題に「その組織と衰亡の歴史」とありますが、社会党の組織と衰亡の関係について触れられているところが少なく、両者の関係が不明確で、社会党の組織と衰亡の因果関係について1章まるまる使って、説明したほうが良かったように思われました。

 また、岡田さんは歴史学の立場、私は政治学の立場と分析の手法が異なりますが、もしも、政治学的な手法で分析するならば、最初に何かしら理論的な枠組みを提示するのが普通です。

 たとえば、私は社会党を分析する際に、以前、「左派連合」という分析枠組みを提示したのですが(木下真志『転換期の戦後政治と政治学』敬文堂、2004年参照)、岡田さんの本にはそのような分析枠組みが見られませんでした。

 このことに関連して、岡田さんの本のオリジナリティはどこにあるのかという疑問がわいてきます。この本で一体、何が明らかになったのか見えてこないのです。

 「この本でこういうことが明らかになった、こういう新説が出た」ということが明らかになれば、岡田さんの本の学問的価値は大きく上がると思われます。

 メールマガジン「オルタ」15号にも書きましたが、表現の仕方にも問題があります。人間は機械ではありませんから、まったく中立的に何でも判断するわけにはいきませんが、それを念頭に置いて、研究対象に取り組む必要があります。社会党を愛するゆえでしょうが、岡田さんの本には感情的な表現が若干見受けられました。

 さらに、このことは次の課題にもつながるのですが、岡田さんの本の記述は編年体で、何年に何が起こったということは詳しく書かれているのですが、それがなぜ起こったのか、whyの部分が弱いように思われます。

 各章に1つずつ、何か問題をたてて、ここでは「この問題について答えていきます」という書き方をすれば、オリジナリティにもつながっていくのではないかと思います。

 歴史の記述について岡田さんの本はA→B→C→Dという風に時系列的に記述しています。たとえば、フランス革命の起源は、バスチーユ監獄への襲撃と今日では言われていますが果たして、バスチーユ監獄を襲撃していた人々は「これからフランス革命を始めよう」と思って、バスチーユ監獄を襲撃していたのでしょうか。そうではなくて、後世の学者が「フランス革命の起源は、バスチーユ監獄の襲撃だった」と後から歴史を振り返って決めたわけで、Aの時点では同時代の人々はそれがDにつながるとは夢にも思っていなかったわけです。岡田さんの本のように長い時代をあつかう場合、どうしても、編年体の記述になってしまうのですが、Aの時点で同時代の人々はどのように考えていたのかという点についても考えれば、叙述の幅はふくらんでいくと思われます。

 それから、社会党について考察する場合、1950年代における着実な議席増があり、それが1960年代にはいって停滞していくというように1950年代から60年代にかけて、社会党の転換点があり、みな、そこに着目するわけですが、そこへの記述が少なかったように思われます。たとえば、構造改革論争だけで1冊の本を書いてみるとか、もっと転換点についてこだわっていけば、もっと面白い本になったと思います。

 また、1950年代に躍進した社会党がなぜ、その後衰退したのか、それは何が原因なのかという問題を考えてみたいと思います。

 岡田さんが主張されるように、社会党の党組織自体に問題があったのか、それとも労働組合に問題があったのか、社会党の候補者に問題があったのか、候補者よりも選ばれた政治家に問題があったのか、あるいは社会党自体には問題がなく、有権者の方に問題があったのか、それとも有権者の生活の仕方に変化があったのか。

 最後の問題に関して言えば、歴史年表などを見ると、社会党の転換点とされた時代は、カラーテレビなどの家庭電化製品が登場してくる時代です。

 政治的なデモに参加したり、労組の勉強会に出るよりも、家でテレビを見たり、家族と家で食事をするほうが良いと考える労働者が増えていったことが、社会党衰退の要因ともとれるわけです。

 逆の視点から見れば、当時の有権者はなぜ、社会党を支持したのか。社会主義社会を夢見ていたのか、護憲という訴えかけに共鳴していたのか、それとも反自民というだけで投票していたのか。当時の有権者がなぜ社会党を支持し、またなぜ支持しなくなったのかという点を実証的に解明できれば、それは新説となりますし、面白いような気がします。

 1990年代後半から社会党研究の力作が次々と発表され、私も自分の本を書いていて「かなわんな」と思ったのですが、今では社民党の現職国会議員よりも社会党について研究している研究者のほうが多いのではないかと言われています。(笑)

 では、それだけ多くの研究者がなぜ、社会党に興味を持つかというと、あれほど輝いていた政党がなぜ、かくも無残に崩壊してしまったのかということにみな、興味がそそられるわけです。その点を解明してくだされば、岡田さんもノーベル賞ものだと思いますから、今後の活躍に期待します。

加藤:木下さんの見解について、反論というか、岡田さんの立場から意見を述べてください。

岡田一郎(以下、岡田):それでは、木下先生からご指摘いただいた点について私から簡単に申し述べます。

 木下先生のご指摘はどれも的確で、私のほうから反論というのもはありません。まず、本の値段が安いのは、出版社の新時代社と編集や印刷を請けていただいた有限会社ジャットのご好意によるものです。

 通史としてわかりやすいというご指摘は、オリジナリティが見えづらいというご指摘と表裏だと思います。言い訳を先に言わせていただければ、この本のもとになった博士論文は、もともと1958年から79年までをあつかう予定でした。社会党の党組織が党勢衰退の原因であるという議論はその時期にしかあてはまらないというのが私の考えなのです。しかし、博士論文審査会で、「なぜ、1979年で終わるのだ。党名変更がおこなわれた96年まで叙述を続けなさい」という意見が出て、1996年まで叙述を続けたのです。そうなると、1958年以前の記述がないとバランスが悪くなり、その部分の記述を増やした結果、通史のようになってしまいました。

 ただし、記述に偏りのない社会党の通史は、党が出している党史を除けば、1965年に出た清水慎三さんの『日本社会党史』(芳賀書店)が最後で、2000年に原彬久先生が出した『戦後史のなかの日本社会党』(中公新書)も戦前から現代までをあつかっていますが、外交史の立場から書かれているので、社会党の通史といえるかどうか微妙です。

 先ほど、木下先生から社会党研究が最近、数多く出されているという話が出ましたが、どれも特定の時代をあつかっており、初心者向けの通史が1冊あっても良いのではと思っています。

 課題についてはどれももっともなご指摘ばかりで、「ごもっともです」としか言いようがありませんが、オリジナリティに関して言えば、私はイデオロギーという側面ではなく社会党の党組織に着目したという点にオリジナリティーを持たせようと考えたのです。

 社会党の衰退要因を時代の動きとからめて解明すれば、ノーベル賞ものという(笑い)お話もありましたが、現在の私の力量では、到底それを解明するのは困難で、これから一生、この問題に取り組んでいけば、あるいは40年か50年後には何らかの結論に達することが出来るのではないかと考えております。

加藤:お二人の報告について意見を出してください。

工藤邦彦(以下、工藤):出版する前に岡田さんには厳しいこともいろいろと言いましたが、松下圭一さんが最近だされた本(『戦後政党の発想と文脈』東京大学出版会、2004年)に触れながら、この本について、いくつか意見を述べます。

 一つは、社会党を研究する場合、他の政党と比較する比較政党論的視野が必要だと思うのです。

 さらに、社会主義論という視野も必要で、この本ではイラン・イラク戦争には触れていますが、ベルリンの壁の崩壊については触れていません。現存社会主義の崩壊という視野が社会党を研究する際にないというのは大きな問題ではないでしょうか。

 それから、松下さんの言葉を借りると「発想と文脈」、簡単に言うと「構造と思想」ですが、なぜ、社会党は存在するのかという構造、それから社会党が独自の運動をどのような思想にもとづいておこなうかということです。それがこの本にはない。

 政治には情熱が必要なのですが、その情熱について触れずに、党の組織の問題だけ、取り出すことは不可能ではないか。

 その点が、岡田さんの本について不満なのです。さらに、松下さんの言葉を借りれば、「政党研究には、時代を先取りした政党イメージが必要だ」ということです。松下さんはそういう言い方をしていませんが、時代を先取りする政党イメージが見えなければ、過去も見えないのではないか。

 そして、岡田さんもこれからの時代の政党イメージが見えていないから、過去に関する記述も混乱しているのではないかと思います。岡田さんの主張は「地道な政治活動が必要」というところから一歩も進んでいない。

 岡田さんは社会党崩壊の要因として、1950年代後半から60年代前半にかけて、佐々木派のために党改革が挫折したこと。路線転換に乗り出したころには党組織が完全に疲弊したこと。社公民路線への転換が遅れたことをあげ、社会党の衰退は「必然」であり、官公労の支援を受けたこと、中選挙区制、反自民票の受け皿だったことを社会党延命の理由としてあげ、土井ブームは「例外」であったとしていますが、視野が狭くはないでしょうか。

 この研究会の初期に、中野紀邦さんが「あれだけの組織で、社会党はなぜあれほどたくさんの票がとれたのか」という問題を考えるべきではないかと言っていました。岡田さんは社会党の得票は「分不相応」と言っていますが、私は「分相応」だったと思っています。

 社会党は1969年総選挙で大敗し、その後の社会党はまったくのアウトで、土井ブームのときにはこれまでの社会党とは異なる論理で党勢拡大がおこなわれたと思うのです。

 岡田さんの本を読むと、1969年総選挙の後、社会党は急激に議席を減らすのではなく、しばらく均衡状態が続いていたことが初めてわかりました。その均衡状態が何ゆえ起こったのかという分析は岡田さんの本のなかで面白かったところです。

加藤:先ほど、工藤さんから鋭いご指摘がありました。確かにその通りですが、現在の情報大衆社会における党組織のありかたを提言していないから、甘いというご指摘は少し、岡田さんに酷であると思います。現在、誰もがその問題を悩んでいるわけで、岡田さんがその問題を指摘出来るならば、誰も苦労はしないわけです。

 私もかって社会党の組織に携わってきましたが、体系的な社会民主主義の党組織論というものはなく、レーニン主義の組織論ばかりでした。日本の社会においてどのような党組織が求められるかという問題は、岡田さんに、これからも精進していただいて成果を期待したいと思います。

棚橋泰助:岡田さんの本を読んで勉強になったし、なかなか便利な本ですが、「はじめに」の部分で、岡田さんは社会党の衰退要因を(1)歴史的転換失敗説、(2)社会的基盤不在説、(3)組織・活動説の3つに分けています。

 しかし、この3つはきれいに分けることが出来るのだろうか。私は相互に結びついていたような気がします。

 私が見るに、社会党には下部組織を規定するような独自の理念を持っていなかった。だから、地方議員の大部分を安易に労組の幹部出身者で占めさせるような結果となり、市民から遊離した組織になっていたと思うのです。

 さらに、社会党が独自の社会民主主義政党の組織理念を持っていなかったので、レーニン主義の影響を強く受けていたような気がします。

 ご存知のように、レーニンの組織論というのはかなり特殊で、まずメンシェビキをたたいて、下部の党員たちをかっさらっていく。

 さらに大衆の政治的判断力の成熟を待つのではなく、活動家たちに徹底的に階級理念を教え込んでいくというものです。そういう組織論の影響を受けているから、社会党の政治家というのは、いつも大演説をひとつぶって終わりで、大衆が何を望んでいるかなんてことは考えようともしなかった。このように、岡田さんが「はじめに」であげた3つの要因は簡単に割り切ることは出来ないと思うのです。

岡田:私もさきほどの3つの要因が簡単に割り切れるものではなく、3つはそれぞれ相互に結びついているものと思っています。ただ、これまでの社会党論というのは非常に単純で、「社会党はマルクス・レーニン主義だから駄目だ。西欧型の社会民主主義政党にならなくては駄目」の一点張りで、「新宣言」で西欧型社会民主主義政党になっても、「まだまだ、西欧型社会民主主義政党になりきれていない」と言うだけというものでした。

 そこから、そんな単純なものではないということで、社会的基盤不在説や組織・活動説が出てきたと思います。ただ、組織・活動説に関しては、主張はあるけれども、実証は未だされていないわけで、その実証を私がしましょうというのが、私の本なのです。

 私自身は、3つの衰退要因というのは相互に結びついたものだと考えますが、日本の社会党研究というのはそこまでのレベルに行っていなくて、3つの説をあげて、それぞれを実証してみるという段階にしかいっていないと思うのです。

 3つまとめて実証するという目標を掲げると私の力量では収拾できません。

太田博夫:理論的なことはよくわからないが、最大の問題は社会党がマスコミ政党だったということです。

 社会党はマスコミが言うことを異常に気にしすぎました。民社党が分裂したのも、私が西尾末広を連れ出してしゃべらせたことが原因だし、浅草大会で社会党が分裂したのだって、朝日新聞と毎日新聞が左派支持と右派支持にわかれて、議事の妨害をしたのが契機です。マスコミもまた社会党を過大評価しすぎました。これは議論の本筋とは関係ない話かもしれませんが。

工藤:いや、それは本質的なことだと思いますよ。

加藤:時間なので、討議の機会をまた作ると言うことで終わります。有難うございました。