【オルタ広場の視点】

「令和」下の天皇と政治権力

羽原 清雅


 「平成」から「令和」に、ひとつの人為的な変化があった。
 それはそれで、人々に新たな思いをもたらすから、意味のあることだろう。
 テレビで見ている限り、渋谷駅前で騒ぎ、皇居前で感激をもらし、大宰府では読んだこともない万葉集に酔いしれ、新時代の到来として喜びを表情に表す人々の姿があった。新天皇の即位が、天皇の死と同時の進行ではないことも拍車をかけてもいただろう。したがって、その喜び、あるいは素朴な歓迎ムードも、それはそれでいい。

 ただ長い歴史のスパンで見ていくと、別の角度が生まれてくる。天皇制の可否という問題ではなく、この天皇交代という一局面の意味することを、ちょっと立ち止まってクールに見てほしい。
 戦後70年余、終わったはずの戦争の残した傷跡、その傷をいやすべき戦後の不十分な処理などの「過去」の清算を、天皇が担っているように思える。それは本来、政治の果たすべき役割のように思えるのだが、そうはなっていない。政治、とくに政治権力は過去の戦争の後始末に興味、関心を示そうとはせず、防衛の名のもとに軍事強化の方にのみ関心を強める。
 天皇の政治的関わりは禁じられており、政治と皇室の間には法的に一線が引かれ、外見上きちんと切り離されているはずである。「戦争の後始末と将来的な防戦・戦闘準備を分業化しているのさ」と見る人がいた。おもしろいが、変な「分業」である。

 万世一系の天皇制とされるが、その歴史はこれまで折々に変化を見せてきた。極めて短命で交代する政治権力もまた、極めて変わりやすい。平成期に試みられた天皇の姿勢と、昨今の政治権力の姿勢はどうか。戦前の戦争を推進したあの時代の妙な接近はすべきではなく、相互のもたれあいのような関係は二度とすべきではない。

        ◇ 昭和天皇と新上皇の役割

 昭和天皇の前半は、戦争責任を問われざるを得ない立場だった。戦後となった後半はその反省のもとに、神の存在から人間としての天皇に大きく変わることになった。そして、新憲法によって、その行動は制約され、政治から切り離された。  
 ただ、戦争の罪過への国民の思いは消えず、赦されることのないままに、昭和から平成に代替わりした。その反省ぶりが表明された後半はとにかくとしても、戦前の分は、国民からも、国際的にも認められなかった。

 あとを継いだ平成期の天皇、つまり新上皇は美智子妃とともに、30年間にわたり反省・陳謝・償い・戦争の記憶不忘の思いを行動をもって示すことによって、結果としてその信念が認められ、受け入れられた、と言えるだろう。
 数字がその一端を示す。47都道府県2巡。被災地訪問37回。サイパン、パラオなど戦没者慰霊と引揚者の開拓地訪問21回。離島訪問21都道県55島。沖縄訪問11回。ハンセン病療養所全14ヵ所。欧米や戦争の及んだ中国、ベトナム、フィリピン、シンガポールなど皇太子夫妻時代を含め51ヵ国(うち天皇の公式訪問28ヵ国)。残るのは支配と差別のあった朝鮮半島である。
 政治の及び得ていない部分を、政治と切り離された天皇という立場が実行してきた、と言えよう。その点では、天皇存在の意義は大きかった。

        ◇ 上皇、そして新天皇の姿勢

 昭和天皇、とりわけ新上皇の姿勢は、憲法に忠実、ということに尽きよう。
 「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」「国政に関する権能を有しない」――この主権者にとっての象徴としての行動を、身をもって体現したといえるのだろう。 
 さらに言えば、国民主権とともに基本的人権を尊重し、「個」を重んじ、平和主義に徹する、という姿勢が受け入れられた、と言えよう。過去の戦争に対して強い思いのあることも、この平和主義の精神、そして国民と共にある、という姿勢の表れだったのだろう。
 「象徴」「国民の総意」とは何か、という論議はあるが、一般的には説明しづらくても一定の理解が国民の間に定着して、天皇がこれまでに示してきた言動が、概して国民の賛同を得ている事実も否定できないだろう。

 ただ、新上皇の30年前の天皇就任時のおことばは「皆さんとともに日本国憲法を守り」だったのに対して、新天皇は「憲法にのっとり」と簡単に述べており、「今後の改憲の事態に備えたもの」との見方も出ている。天皇のおことばは、事前に閣議決定することから、官邸サイドのプレッシャーがあったかとも思えそうだが、文面全体を素直に読めば、前の天皇からの継続性が尊重されたもの、と読み取れよう。だが、それは今後の新天皇の言動を待つしかない。国民的な信頼、つまりは「象徴」の認知を受けたのも、昭和天皇の後半と、前天皇の言動の長い歴史を経てのことだった事実を忘れてはなるまい。

        ◇ 政権の言動のおかしさ

 新元号の発表以来、退位・即位の諸行事を巡って、安倍晋三首相とその周辺の、いわば「皇室行事への便乗」かと思われる現象が目についた。皇室サイドの取り組みやその姿勢は、各面で政治の世界と一線を画すが、しかし微妙にリンクする部分が多いことも否定できない。そこを、政治権力サイドは巧みに使いこなして、政権のアピールに活用した疑惑がうかがわれた。いくつか、指摘しておきたい。

 1>元号選定時の「忖度」 注目のひとつである新元号は、早くから各方面の学者に提案を依頼、100余のうち、生存者起案のもののみ70ほどから、官房副長官ら首相官邸の事務局によって10数案に絞られた。さらに、各界9人による、ごく形式的な存在に過ぎない「元号に関する懇談会」に6つの案が示され、結局6案中「令和」が選ばれた。
 だが、その過程で、安倍首相はその10数案の段階で、冴えない顔を見せて納得せず、追加案を用意させた。それが万葉集研究第一人者で、国文学者の中西進氏の「令和」だった。
 しかも、安倍首相は第1次政権の2006、7年ころから、元号の典拠は国書からが望ましい、と言い続けていたといわれ、周辺官僚の「忖度」が「令和」を導き出したようないきさつがあったようだ。

 2>皇太子(現天皇)への接近 「令和」など6案が内定した翌日の3月29日、東宮御所に皇太子を訪ね、各案を1対1で説明している。首相の皇太子訪問は極めて異例だ。あとで触れるが、皇太子への事前説明は日本会議系の保守派の強い要望だった、という。
 この事前説明という行為は、天皇の国政関与の禁止という憲法条項に反する疑いが持たれた。この時点では、あくまでも「皇太子」の身分にあり、「報告であって、皇太子の意見は聞いていない」から問題はない、という首相官邸側の説明は通りにくい。
 また、4月1日の閣議決定後の新元号発表の際に、菅義偉官房長官の記者会見が予定より11分遅れたのは、官邸側から宮内庁への報告の時間がずれたため、としたが、要は法令通りの措置、と思わせるための表向きのパフォーマンスだった。
 しかし、新元号という政治側の作業に皇太子を巻き込むことは、政治による皇室利用、という疑惑を生んだことは間違いない。

 3>安倍首相の異例のはしゃぎ振り 新元号決定後、安倍首相は菅官房長官による発表直後に、官邸記者会見室のカーテンを水色から赤色に変えさせて、異例の会見をした。「令和」礼賛、新時代到来を強調しつつ、SMAPの「世界に一つだけの花」まで引き合いに出して、安倍政治のアピールが込められた。饒舌な18分間。きわめてしつこかった。
 さらに、異例なことに、首相が各テレビ局をはしごして新元号の説明名目で安倍政治のありようを述べ続けた。記者会見では触れなかった、お得意の「一億総活躍社会」実現に結びつけての大演説だった。ツイッター、インスタグラムまで使った。竹下政権下、好感を持って受け入れられた小渕官房長官の「平成」時とは様変わりだった。
 元号は単なる一政権だけのものではなく、国民側が冷静に時代をとらえるべきことで、政権の姿勢は異常な便乗ぶりだった。政権延長がウワサされ、近づく参院選を意識したとしても、現政権の皇室行事便乗の姿は繰り返されてはならない、品位を欠く醜状だったろう。

        ◇ 日本会議など保守派の陰

 天皇制護持をいう日本会議などの保守派への、安倍首相や首相官邸の配慮が目につく天皇交代劇であった。首相と日本会議の思考には、共通する点が多いことはすでに知られている。また、官邸をはじめ自民党要路などには同会議で育った新藤義孝をはじめ、衛藤晟一、下村博文、加藤勝信、荻生田光一らが陣形を固める形で構えており、非公式ルートでの情報や要望は自在に首相官邸等に注入されている。なによりも安倍首相自身が、日本会議の方向に強いシンパシー、一体感を持つ姿勢であることが、政治の流れを左右していることが問題視されよう。

 保守派の大勢は、天皇の生前退位にはもともと同調していなかった。前天皇、つまり新上皇が退位をにじませた会見をしたこと自体に批判的だった。だが、国民的世論の支持的空気や、85歳という高齢化の事情は黙認せざるをえなかった。
 保守派は基本的に、復古的な天皇制護持の立場で、日ごろから天皇夫妻の行脚や時折の発言に好ましい印象を抱いてはいなかった。
 政治権力に結びついた保守派の隠然とした発言力は、今後の皇室を巡る課題になにかと影響を与えていくに違いない。ごく一部の発言が受け入れられやすい政治構造のもと、これからの天皇や皇室のありようには、揺らぎを生じていないか、とくに注目していく必要がある。

 1>生前譲位の可否 各紙の世論調査によると、民意の大勢はこんどの202年ぶりという生前譲位について受け入れていた。日本会議系の保守派からは、歴史的な伝統に基づき天皇没後の新天皇登場、同日同所での継承が主張された。ただ、コンピューター時代に置かれた企業や役所などの社会的状況からすると、新元号の準備などの時間を確保しなければ大混乱を招くため、安倍首相の判断もあって1ヵ月前の4月1日の新元号発表となった。1ヵ月前という首相の妥協も、社会一般の受け止め方ではいささか短すぎた感があった。

 これまでの天皇の退位に伴う即位の年齢は明治天皇14歳、大正天皇32歳、昭和天皇25歳まではいいとして、長寿化の昨今は新上皇が55歳、新天皇が59歳と高齢化している。ということは、在位の期間が短いうちに、次の天皇を迎えることになる。高齢となった天皇は身体が思うままにならず、職務の遂行が厳しくなる。したがって、生前のバトンタッチはごく当たり前、になってこよう。自然の理として復古の発想の限界を悟らなければなるまい。

 2>女性天皇の可否 保守派は、女性の即位に強い反発がある。少数ながら女性天皇は、歴史的には存在していたが、伝統として男系本位であるべきで、女性は受け入れがたい、とする。男尊女卑の名残とは言わないが、そんな気持ちが漂ってもいるのだろう。
 だが、天皇制の是非は別として、憲法にもうたう人間の対等平等、男女同権の時代であれば、外国の事例を引くまでもなく、女性天皇登場がありうることは想定されなければならないだろう。
 現在の皇位継承の順位は ①秋篠宮53歳 ②秋篠宮家悠仁12歳 ③常陸宮83歳、の3人のみ。仮に新天皇が30年間在位するなら秋篠宮83歳、悠仁宮就任は42歳となるが、「万一」を想定したら、悠仁宮のもとに男子が生まれていなければ、そのあとの人材は途絶えるだろう。
 女性の宮家設定の以前に、女性天皇の誕生を受け入れる方向で進むことはできないか。かつて小泉首相のもとで女性天皇を容認したことがあり、野田首相のもとでも女性宮家創設が検討されたが、具体化はしなかった。しかし、この論議の再燃は必至だろう。
 女性天皇はなぜダメなのか。この論議を経て、早めに対応すべきだろう。天皇制存続を重視する保守派も、存続を言う以上、女性起用を受け入れてはどうか。
 別の問題ながら、もしそうなれば、女性存在の意義が見直され、男女平等の意識は大きく高まるだろう。戦後の日本の歴史は、明らかにその方向に向いており、復古的な伝統主義も現実に即して思いを新たにしてはどうか。

 3>神道的儀式の可否 安倍政権のもと、保守派は生前譲位に反発して、今度の継承のあり方を特例法をもって「一代限り」とし、将来的な道を開くことはなかった。また、皇室行事として皇室継承の儀式を長年の神道的な復古調で進めることを主張した。儀式としては伝統尊重の姿勢もありうるのかもしれないが、宗教上の問題を残している。
 保守派は、これまでの新上皇夫妻の言動に違和感を抱いており、新天皇の「変化」に期待する向きもあるようだが、多くの国民が好感をもって受け入れてきた現実からして、どうなるのだろうか。新天皇のありようはまだ見えてこない。
 保守派の学者には「天皇の仕事は祈ること。国民の前に姿を見せなくても、その任務は果たせる」といった、いわば「神格化」して人間天皇的な社会への接近を抑制し、暗に天皇の威光のもとに自在な権威的威令を行い、国民を束ねやすくしておきたいような論議さえ出ている。

        ◇ 政治と天皇との距離

 時の政治権力と天皇・皇室の間に距離を設けて、それぞれの役割を制度として定着させておくことが、政治権力をして、神格化された天皇の名のもとに強権を発動させてきた戦前の歴史を繰り返させまい、という戦後の反省だった。それが、戦後の憲法の定めた大きなルールのひとつだった。
 したがって、安倍政権が新天皇の即位、あるいは新元号の設定にあたって、ひそかな違憲すれすれの行動をとったり、皇室行事にあたる部分で首相自身がはしゃぎ過ぎて政権のアピールに使ったりするような姿勢は、極めて好ましくないものと言える。すれすれ、という言動には「情的」でいえば「マア イイジャナイカ」と思わせる部分があることも理解できないわけではない。
 しかし、戦争を推進した歴史的な結果として、また自国他国の国民大衆の無数の生命を失わせた反省から生まれた憲法ルールは、極めて厳密に守られなければならない。
 復古的主張を繰り返す保守派の人々も、残虐にして非道な戦乱の否定や黙殺、虚偽や擁護の言説を戒め、歴史の美化や新解釈をやめて、反省は反省として生かす方向に向かわなければならないだろう。

 天皇の「象徴」性は、長い時間をかけてその言動に真実性のあることが認められ、次第に国民の中に定着してきたところに存在する。単なる用語としての、抽象的な「象徴」が具体的に見えてきたところに重さを整えてきた。このことは大きな視点から言えば、日本国内の精神的な安定に寄与しているのだろう。
 憲法は「国民統合の象徴」をいう。では、「統合」とはなにを意味しているのだろうか。 
 個人の尊重が民主主義の基調であるとすれば、個々の人間がおのれの見解、判断を持ち、それをしっかり主張し、多数少数に属するかどうかを問うことなく、おのれの見方の可否を点検・修正し直して、新たな立場を展開できることが望ましい。力のあるものへの妥協、多数意見への追随、おのれの意見の喪失などが通底している限りは、本来の民主主義にはならない。
 このような民主主義の徹底による、やんわりとした「統合」はいいが、強いものに誘引・追随する状況での「統合」は怖い。新天皇のもとでの国民のありようは、まだまだ民主主義の初歩的な段階にあり、「統合」を求め、これを推進する状況になるべきではあるまい。

 政治権力が、天皇制を利用することを警戒したい。
 天皇の「象徴」制は、漠然としながらも、長期的に不変で、全体的に納得される大義が時間をかけて認められていくところに成り立つ。一方、政治権力は、歴史の中では一過性の存在であり、移ろいやすい。それに、政治権力は各界の賛否両論のもとにあり、その論理的な説得力や状況掌握などによって、多数意見に沿った遂行が任務とされる。多数派の形成によって、政治権力は許容される土台をつくる。そこには批判派、少数派、多様な異論が存在し、抑圧されるべきでもない。したがって、政治権力の下の国民総体の納得や同調、ましてや「統合」などはあり得ない。
 繰り返せば、天皇のもとの「統合」は多分に情的であり、長い時間をかけ、なんとない納得と合意の中に生まれるが、政治権力は多数決とはいえ、部分的な立場に過ぎない一過的な権力にすぎず、そのイニシアティブのもとで「統合」が意図的に仕組まれることは警戒しなければならない。だからこそ、天皇と政治権力との間には距離を置くよう、法的に厳格な規定を設けている。
 政治権力は、認知された天皇制の「日本国民統合の象徴」ににじり寄り、利用とする姿勢は許されない。

 現政権は、小選挙区制度のうえに一強の権力を握り、弱小多数野党の存在にあまり配慮せずに権力を行使できる環境にある。異論や批判にあまり耳を傾けず、国会答弁ですら質問の核心を避けてかわし、問われた責任にも反省の姿勢を見せない。一方で、恣意的ともいえるような保守派への傾斜を見せる。
 こんどの新天皇の誕生に見られた政治権力の姿勢は、多数決による政権とはいえ、問題なしとはしない。このような姿勢によって、「国民の統合」が図られてはならない。だからこそ、政治権力による天皇の「利用」を思わせる言動は強く戒められなければならない。
 安倍首相は、新元号決定時の記者会見で、「元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、千四百年近くにわたる我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています」と述べている。この権力者による「精神的一体感」づくりは新元号・新天皇登場の儀式に便乗したものだろう。
 政治権力のうえからの目線で国民を束ねるかの言い回しは不要であり、最も戒めるべき言動なのだ。

 憲法が、天皇と政治権力との距離を保つべき規定を設けている深い意味を、双方が理解し、尊重し合う姿勢を保つことが改めて必要とされよう。

 (元朝日新聞政治部長)

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