【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

「パンチャシラ(建国五原則)」の復興で、インドネシアは不寛容社会を救えるか

荒木 重雄


 政治と宗教が結びついた分断・排他主義がすすみ、過激派によるテロも頻発するインドネシアで、今、「パンチャシラ(建国五原則)」が注目され、これを広める運動が政府主導で盛んに行われている。建国時の理想であった「寛容の精神」を取り戻そうとの狙いといわれるが、それにしても何故、今、パンチャシラ復興なのか!?

◆◇ 「多様性の統一」の模索と挫折

 パンチャシラとは、1945年の独立に際し、初代スカルノ大統領が憲法に定めた国是である。
 なにせ、1万3,000余の島に約300の民族が約700の言語と複数の宗教をもって住み、しかもオランダと独立戦争中という地域の住民を、多様性のままにどう統一するかが、新生インドネシアの喫緊の課題であった。

 この要請に応えるべく設定されたパンチャシラ(サンスクリット語で「五つの徳」の意)は、国民統合の原理として、①唯一神への信仰 ②人道主義 ③インドネシアの統一 ④民主主義 ⑤社会的公正、を掲げたが、なかでも最も注目されたのが「唯一神への信仰」であった。

 インドネシアでは人口の約88%がイスラム教徒だが、10%弱のキリスト教徒、2%弱のヒンドゥー教徒、1%弱の仏教徒がいる。独立に向けては、インドネシアをイスラム国家とするか、政教分離の世俗国家とするかが、重要課題として争われ、世俗国家派が一応の主導権を握ったが、両者が見出した妥協が、「唯一神への信仰」をパンチャシラの冒頭に掲げることであった。

 神の「唯一性」を強調するのはイスラムの最大の特徴であり、したがって「唯一神」とはすなわちイスラムの神アッラーのことで、その信仰を第一原則に掲げたことはいうまでもなくイスラムの至上性の承認と、イスラム教徒側は受け取って納得した。だがじつは、この「神」に、パンチャシラでは、アッラーではなく、抽象的・中立的に神を示す「トゥハナン」という言葉を当てている。この語を当てることには、「神」はアッラーだけでなくすべての宗教の神を指すとの含意が込められ、他の宗教への配慮が示されているのである。

 因みに、その後のインドネシアでは、イスラム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー、仏教、儒教の六つの宗教が公認されていて、無神論は違法である。無宗教を公言すると逮捕される場合もある。

 一方、このような妥協を拒否するイスラム強硬派は、ダルル・イスラム(イスラムの大地 DI)という組織を結成して、「イスラム国家インドネシア」の樹立を宣言し、武装闘争に入った。これが現在に繋がる過激派のルーツとなる。

 クーデター事件で失脚したスカルノの後を襲ったスハルト大統領は、30年を超える独裁政治で、強権的手法により経済発展を図る「開発独裁」の代名詞とされたが、その間、軍・情報機関が徹底して反体制活動の芽を摘む一方、パンチャシラは、国家主義的な思想統制の中心的役割を担った。

 98年、民主化運動でスハルト独裁が倒れると、抑え込まれていた反体制活動が活発化した。ダルル・イスラムは60年代にすでに壊滅していたが、マレーシアに逃れた活動家の一部がジェマー・イスラミア(イスラムの会衆 JI)を興し、元アフガン義勇兵とも連携して、東南アジア一帯に亙る広域的なイスラム国家の樹立をめざした。2000年代、バリ島連続爆破テロなど派手なテロ活動で注目を集めたが、治安部隊による一斉摘発でほどなく壊滅。その中から、統一目標をもつ大規模な国際テロ組織の影響から離れたローカルな小規模組織が乱立し、警察署やキリスト教会への自爆テロなどを繰り返しているのが、過激派の現況といわれる。

◆◇ パンチャシラで社会の不寛容化を止め得るのか

 こうした側面からの影響も受けながら、近年、社会の全体的な宗教的保守化がすすんでいる。とりわけ政治の場面で顕著で、それは、選挙で支持を集めるのには宗教的価値観に訴えればカネがかからずにすむからだといわれる。
 たとえば、選挙近くになると、首長は、公務員のイスラム的服装の義務づけ、コーランの読み書き推奨、酒の製造販売や飲酒の禁止、プールを男女別に、婚前交渉の禁止、女性の夜間外出禁止など、イスラムの教えを土台にした地方条例を次々に発して人気取りを図る。
 このような時流にのって、少数派異教徒への侮辱や暴行さえなかば容認される社会の雰囲気が醸されているのだが、そうした現れの、世間の耳目を集めた一例が、昨年のジャカルタ特別州の知事選挙であった。

 当時、現職で選挙に臨んだバスキ氏は、少数派の中華系キリスト教徒でありながら、汚職対策などの実績が評価され、好感をよんでトップを走っていた。ところが、選挙中の些細な発言から、イスラムを侮辱したとするイスラム強硬派団体・イスラム防衛戦線(FPI)のネガティブ・キャンペーンを浴び、さらに宗教冒瀆罪容疑で刑事告発されて、政治生命を断たれた。

 FPIは現在のインドネシアを代表するイスラム過激派組織の一つだが、もともとはスハルト時代、民主化運動を抑え込むため軍や警察が後ろ盾になって設立された団体で、スハルト体制没落後は一旦凋落しながら、反対派集会の襲撃や対立候補の中傷・攻撃など、野党や右翼勢力の先兵として働くことで勢いをつけてきた。

 盟友バスキ氏の失脚をきっかけに、不寛容な社会の進行に危機感を抱いたジョコ大統領が展開するのが、現在のパンチャシラを推進する運動である。多様な啓蒙キャンペーンに加え、パンチャシラに反する団体への罰則を定めた政令の発布、同政令に基づくイスラム強硬派団体の解散などに踏み込み、学校でのパンチャシラ教育も検討中という。だが、スハルトが、前述のように、パンチャシラを国家主義的な思想統制の中心に位置づけ、道徳教育に義務化した記憶もあり、ジョコ氏の姿勢が民主主義に逆行するのではないかとの懸念もある。
 いずれにせよ、スカルノ時代、スハルト時代と役割を変えて変遷してきたパンチャシラが、現在の状況に対して、新たにどのような役割を果たせるのか。注目したい。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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