【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

「イスラム国」を追い詰めても各国・各集団の思惑が抜け道を残す

荒木 重雄


 このところ、さしもの猛威をふるった「イスラム国(IS)」も、劣勢に傾き、支配地域の縮小が続いているようだ。
 6月には、イラク北部の都市ファルージャがイラク軍によって奪還され、8月には、クルド系勢力が米軍と連携してシリアのトルコ国境沿いのIS拠点マンビジュを制圧。
 さらに、9月には、内戦が続くシリアで、米国とロシアが仲介したアサド政権と反体制派の停戦がはじまり、これが定着すれば米ロが提携してIS空爆に向かうはず、だったが・・・。

 さまざまな紆余曲折はあっても、ISをめぐっては一つの転機に差しかかっていることは確かであろう。この節目に、明らかになってきたIS占領地での民衆の生活にも目を配りながら、現在の状況と当面の課題を確認しておこう。

◆◆ 悲惨な占領地住民の生活

 9月、2年半に亙るISの占拠から奪還されたファルージャが、報道陣に公開された。新聞記事によれば、住民が避難して立ち入りも制限されていた無人の市街地は、ほとんどの建物の屋根や壁が崩れ、道路上は、崩れた建物の瓦礫や仕掛けられた爆弾を処理した跡の窪みで移動も困難な様子である。

 ファルージャがISの前身組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の手に落ちたのは2014年1月。イスラム教スンニ派住民の多い同市で起こった反政府デモを刺激しないよう、シーア派主体の軍と警察が街から引いた直後、黒ずくめの男たちが現れ、銃を片手に「ルール」を強制しはじめたという。
 喫煙を禁止し、女性には全身を覆う衣装の着用を義務づけ、商店は礼拝時間に閉じるよう強制された。政府とのつながりを疑われた住民は殺害された。
 スンニ派住民が多いファルージャで、ISは、スンニ派住民がもつ、シーア派が主導する政府への宗派的な対立感情をことさら煽って同調し、イラク戦争後に排除された旧フセイン政権の支持者たちもISに加勢したが、やがてISは住民の恐怖の対象となった。

 住民は仕事も収入も途絶えたが、家に籠ってISとの接触を避け、食料どころか飼料用のナツメヤシの実まで底をつくと、野草を食べて飢えをしのいだ。一方、政府軍による無差別の空爆や砲撃も熾烈を極め、多くの住民の家屋が破壊され、家族に負傷者や死者が出た。だが、脱出もままならない。見つかれば、住民を「人間の盾」にするIS戦闘員によって射殺された。

 1ヵ月に及ぶ市街戦ののちイラク軍によって解放されたファルージャでは、9月半ばから住民の帰還がはじまったが、復興はまだ遠い先のことである。

◆◆ 宗派対立とテロ拡散が課題

 イラク政府が次に目指すのは、国内最大のIS拠点であるモスルの年内解放である。軍は8月下旬、モスル南郊の要衝を制圧し、クルド地域政府の治安部隊や米軍とともに「最終決戦」の準備を進めている。
 だが、依然、宗派対立が、問題としてつきまとう。ファルージャなどでの対IS作戦では、軍と連携したシーア派民兵がスンニ派の住民を虐待したとの伝聞が広まり、モスルでの作戦に民兵が参加しないよう求める声は、スンニ派住民に根強い。

 米政府によると、ISの支配地域は、イラク国内では最盛時の半分程度にまで縮小しているとされるが、その分、ISによるとみられる爆弾テロなどが拡散、頻発していることは、新たな対応を迫られる課題である。

◆◆ 破滅国家の混乱がISを延命

 シリアにおける対IS戦線はさらに複雑である。
 たとえば、シリア北部に勢力をもつクルド人組織「民主統一党(PYD)」の部隊が8月、ISがトルコから外国人戦闘員や武器、食料を補給する要衝マンビジュを制圧したが、すると、すかさず、トルコ軍とトルコが支援するシリア反体制派「自由シリア軍(FSA)」が越境侵攻して、マンビジュと隣接するIS拠点を占拠し、マンビジュのクルド人部隊に攻撃を加えて撤退を迫った。トルコは自国のクルド人組織「クルディスタン労働者党(PKK)」とPYDの連携を警戒し、対ISよりもクルド人対策を優先したのである。

 この一例からも明らかなように、2011年以来、出身部族はシーア派系のアラウィー派だがバース主義(非宗教的な汎アラブ社会主義)の流れを引くアサド政権と、スンニ派と括られる反政府勢力との内戦が続くシリアでは、当初の独裁政権vs民主化を求める市民の構図は影を失って、政府軍、スンニ派系イスラム主義武装勢力各派、IS、旧ヌスラ戦線などアルカイダ系武装勢力、クルド民兵、などが互いに角逐する泥沼状態となり、そこに、反政府側には、米国率いる西側諸国とサウジなどスンニ派中東諸国の有志連合、政府軍側にロシアとイランが加担するという複雑な構造に変化して、対IS戦線は混迷している。

 シリアにおける国際社会の注目は、最近、北部の都市アレッポに集まった。反政府派が掌握する東部の街を政府軍が包囲し、約30万人の住民が食料や燃料を入手できない状態に陥ったのだ。この街に国連や赤新月社が人道支援物資を運び込む必要もあって、9月、米国とロシアが仲介し、政府軍と反体制派が停戦に合意した。この停戦が持続すれば、米ロが連携してIS空爆を強化するということだったのだが、早々に、双方から戦闘が再開され、国連安保理ではお定まりの米ロの非難合戦となって、10日を経ずして停戦は事実上崩壊した。

 国内各勢力と支援諸外国それぞれの自派・自国の利益最優先の思惑が、またもやISに生き延びる道を残したのである。

 (元桜美林大学教授)


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