≪連載≫宗教・民族から見た同時代世界

「イスラム国」は世界と世界史への意義申し立て

荒木 重雄


 新聞を開いて「イスラム国」のニュースがない日は珍しい。なぜ、さほどに国際社会の注目を集めるのか。
 かつてこれまで、「国家」樹立を宣言した過激派組織はない。しかも、「これまでのどの集団よりも洗練された軍事力と潤沢な資金を持つ」(ヘーゲル米国防長官)容易ならぬ存在だからである。

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◇◇ 突如出現した強力過激派集団
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 イラクを拠点にシリアでアサド政権打倒の内戦に加わっていたイスラム教スンニ派の過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が急速に勢力を拡大したのは今年に入ってからであった。6月中旬にはイラク第二の都市モスルを中心としたイラクの北西部からアレッポなどシリアの北東部を制圧して支配。同月末には、組織名を「イスラム国(IS)」と改称してここにカリフを指導者とする独立国の樹立を宣言した。

 占領した油田からの石油の密輸や銀行の接収で資金は潤沢。政府軍から奪った武器や各地から集まる戦闘員で軍事力も充実。8月にはモスル近郊にあるイラク最大のダムも制圧。このダムを破壊すれば首都バグダッドを襲う大洪水を起こすことができるとされる。

 こうした事態に米国は、8月、拠点都市アルビルの米国人保護と「イスラム国」占領地で孤立したキリスト教徒やヤジディ教徒の避難民の救出を名目に空爆を開始。過激派側はそれに対する報復と脅迫として、誘拐されていた米国人ジャーナリスト二人を続けざまに殺害、首を切断する残虐な映像をネット上で公開した。

 因みにヤジディ教とは、輪廻転生を信じ、イスラム教やキリスト教の要素も混じるがイスラム正統派からは「悪魔崇拝」とみなされる、クルド人の一部が信奉する土着信仰である。

 こうして始まった、弱体ながら米軍の空爆と顧問団に支援されたイラク政府軍と、イラク国内に地域政府をもつクルド人の治安部隊、対、「イスラム国」武装勢力の戦闘は、一進一退を繰り返し、その行方は依然、予断を許さない。

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◇◇ 「イスラム国」が国際社会にもたらした波紋
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 新たに出現したこのイスラム過激派集団には、幾つか、これまでにはない特徴がある。独立国を主張すること自体、前代未聞のことであるが、しかもカリフ制をとる。カリフとは「預言者ムハンマドの後継者」の謂であり、それを元首とするのが伝統的なイスラム国家の統治体制であった。

 さらに、「イスラム国」のカリフを名乗るバグダディ師の経歴がほとんど不明なことである。確かなことは、イラク戦争中の04年、米軍のファルージャ侵攻に抵抗して逮捕・投獄されたスンニ派戦闘員の一員だったことだけで、アルカイダとのかかわりは、ザルカウイを通じてあったともいわれ、なかったともいわれる。

 やり方が残酷だとしてアルカイダから「破門」されたとの説もあるが、唯一、彼が姿を現わすネットに公開された映像では、彼は、「この国はすべてのイスラム教徒のものだ」と呼びかけ、「あなたたちが、私が正しいと思うなら、助けてほしい。もしも間違っていると思うなら、私に助言し、正してほしい」と語りかける。

 次に、戦闘員に多くの欧米人の若者が加わっていることである。ネット公開された、米国人ジャーナリストの首を切り落とした黒覆面の男もロンドン訛の英語を話す英国人とされるが、英国人推定500人、ドイツ人推定400人をはじめ、欧米人戦闘員は数千人にのぼるといわれる。
 欧米諸国が恐れるのは、これらの戦闘経験者が自国に戻ってテロなどを働くことである。

 「イスラム国」の出現がもたらした国際社会の動揺も著しい。
 まずは米国が抱える幾重ものジレンマである。そもそもオバマ氏を大統領に押し上げたのは、米国内に厭戦気分が広がった中で「イラク戦争の終結」を訴えたことが大きかったし、三年前にようやくイラクから米軍を引き揚げた矢先である。再びイラクで戦闘の泥沼に嵌りたくはない。しかし、米国人ジャーナリストの斬首などに激昂する世論や共和党からの弱腰批判もあり、イラクの混乱を放置すればオバマ政権のこれまでのイラク政策じたい問われかねない。

 しかも一方で、「イスラム国」は、米国が退陣を望むシリアのアサド政権打倒の主要戦力でもある。これを攻撃することは結果的にアサド政権の延命を助けることになる。

 そこで米国が腐心するのが、欧州諸国や豪・日、湾岸諸国も巻き込んだ有志連合による「イスラム国」包囲網づくりである。こうしたなかでたとえばドイツは、クルド人部隊への武器供与を決めたが、それはこれまでの紛争地域への武器供与を避けてきた方針を転換することになり、国内で議論を呼んでいる。

 当のイラクでは、シーア派のマリキ首相(当時)のシーア派偏重・スンニ派冷遇の政治がスンニ派「イスラム国」の伸長を招いたとされ、欧米の圧力もあって、身内から離反され、マリキ氏は8年に亙る政権の座から追い落とされた。挙国体制で「イスラム国」と戦うとするが、シーア派・スンニ派・クルド人の主要三勢力の要求・思惑の調整は前途多難である。

 サウジアラビアなど国王や首長をスンニ派が占める湾岸諸国は、同じスンニ派同士として、さらには湾岸諸国が最大の安全保障上の脅威とみなすシーア派のイランへの対抗軸として、「イスラム国」を容認し、非公式な資金援助さえ指摘されてきたが、サウジだけでも2500人以上が「イスラム国」戦闘員に参加しているという事態に、帰国した彼らが国内での反体制勢力となる恐れが募って、「イスラム国」非難に転じている。

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◇◇ 「イスラム国」が「国家」の樹立にこだわる理由
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 「イスラム国」の出現についてはさまざまな背景が指摘されている。一つは、「自由と民主主義」を掲げながら結局は国を荒廃させた米国によるイラク戦争の帰結というもの。次には、民衆が立ち上がった「アラブの春」が無残にも潰えたこと。エジプトでは選挙で選ばれた大統領がクーデターで追われ、軍政に反対するデモは治安部隊によって600人以上が殺害された。さらには、封鎖によって巨大な監獄と化したパレスチナ・ガザへの度重なるイスラエル軍の攻撃である。今夏の攻撃でも2100人以上が犠牲になった。

 欧米社会は、こうした事態にただ無関心を決め込んでいるだけでなく、裏でそそのかし手を下しているのではないか。

 しかし、「イスラム国」が敢えて「建国」を宣言するのには、こうした個々の不正義への怒りを超えて、より根源的で世界史的な問題提起がある。

 第一次世界大戦が後世にもたらした結果の主要な一つは、オスマン帝国を解体し、その領土を英仏露で分割統治したことである。シリアとイラクも、サイクス・ピコ協定に基づく英仏の談合によって、仏委任統治領のシリア、英委任統治領のイラクとして、両国の欲望と思惑によって人為的につくりだされた国である。

 「イスラム国」がシリアとイラクにまたがって国家樹立を宣言したことには、そのようにしてうまれた両国の国境線、敷いては、それらの上に成り立つ現在の欧米主導の国際体制・国際秩序に対する全否定が込められているのである。「イスラム国」が、オスマン帝国まで継承され英国によって廃止されたカリフ制の復活をめざすのも、この意図からにほかならない。

 さらに加えれば、「イスラム国」の戦闘員はその大多数が、イラクを中心に世界中から集まった、失業したり社会の下積みに置かれ、格差や貧困、差別に憤る若者たちである。その壊滅を図るのは、「豊かな」欧米諸国や、アラブ諸国でも富と権力を一手に握る王族やそれに連なる特権層である。ここに、新たな形態の階級闘争の姿も浮かび上がってくるのである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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