■「長洲自治体政権」から学ぶもの

   ―久保孝雄著『知事と補佐官』(敬文堂2500円)を読んで―
                        棚橋 泰助
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◎長洲県政の特質-その政治路線
 今から30年あまり前の1975年、神奈川県に長洲県政が誕生した。長洲県
政は日本の戦後自治体のなかで、もっとも輝かしい足跡を残した自治体政権の一
つであるが、同時にきわめてユニークな政権でもあった。本書はその長洲県政の
検証、総括の試みである。著者の久保さんは、長洲県政において4期16年にわ
たり補佐官の仕事をつとめた、長洲知事の共働者にして同志であった、というべ
き人である。
 
 長洲政権のユニークな点は、大きくわければ二つある。一つはその政治理念で
あって、当時”構造改革派”と呼ばれたものであった。今では”構造改革”とい
えば小泉構造改革になってしまうが、これは全く別物であって、当時の革新陣営
に新しい風を吹き込んだ政治路線のことである。長洲さんはこの派に属していた
というより、長洲さん自身がこの路線を鼓吹する主要な論客の一人だった。久保
さんもその論客の一人だった。
 
 長洲さんは、自らを社会民主主義者、長洲政権を”社民・リベラル政権”と自
己規定し、次のように言っていた、と本書にある。「古い社会主義の教条から離
れられず、構造改革派の江田三郎さん(元社会党書記長)を追放した社会党にも
距離感を持ち、『先進国政治のグローバル・スタンダードであるヨーロッパ型社
会民主党が日本に存在しないのは、国民にとって不幸なことだ。社会党は早急に
日本型社民党に脱皮すべきだ』とよく言っていた」(本書103頁)。また長洲政
権を当時増加しつつあった”革新自治体”(社共共闘プラス労働組合で選挙を闘
い、当選した首長をもつ自治体のこと)の一員とみるマスコミの報道にも違和感
をもち「私は革新を革新する立場だ」と言っていた(同頁)。 これを要約すれ
ば、西欧型社民主義と構革派は同じ、これと社会党の政治路線は異なるというこ
とである。この点については説明が要るし、私にも感想はあるのだが、それをや
っていると書評のワクをこえてこの文章がふくらんでしまうのでカットする。ま
た、当時と今とでは政治の情況は大きく変わり、日本の政治はアメリカ型二大政
党制(政治理念はあまり変わらず、支持基盤の違いによって政策にも違いがある
という)に近づいて行っている。ヨーロッパ型の政治構造(社民主義政党と保守
党<最近では伝統的保守に新自由主義が加わっているが>が対峙するという)か
らはますます遠ざかっている。はたして日本に西欧社民型の政党が成立し、根を
下ろす展望はあるのだろうか、という問題がある<註>。その可能性がないとい
うのであれば、本書の意義は自治体問題に限定される。可能性はある、というの
であれば、本書の長洲政権の検証という仕事の意義はもっと大きなものになる<
註>。
 
<註>自治体改革が日本の政治構造を変えるという見解はもちろんある。日本の
社会が農村型社会から市民社会に変化し、さらに分権化、国際化の途を進みつつ
あるという、基底変化を前提として、自治体問題を系統的に追いつづけてきた人
が松下圭一さんであるが、本書に興味をもたれた人は、松下さんの著作をあわせ
て読んでいただきたい。理解が一段と深まるであろう。

◎長洲県政の特質-その運営機構
 
 長洲県政のもう一つのユニークなところは、補佐官とブレーン団の機能をフル
に活用した自治体政権だった、という点である。日本の県政は戦後、現憲法が制
定され、それに基づく地方自治法が公布されたにもかかわらず、明治憲法下の県
政と変わったのは知事が官選(政府の任命)から公選(選挙で選ぶ)になったこ
とくらいで、その実態はほとんど変わらなかった。主要幹部は中央省庁から”出
向”してくるし、仕事は機関委任事務ということで中央省庁の仕事の下請けが大
部分をしめる。予算もそうだ。実際に使われる金額は、自治体が2/3、政府が
1/3であるにもかかわらず、税収は政府が2/3をとり、自治体は1/3しか
与えられない。その差額の1/3部分は、交付金、補助金といった名目で政府か
ら自治体に下りてくる。財布のヒモは中央政府がシッカと握っていた。中央政府
の下部機関という明治憲法下の県政の実態は、現憲法下でもほとんど変わらなか
ったのである。戦後の民主化改革の嵐は日本の自治体の頭上はるかの上空を吹き
抜け、遠くへ去ってしまったのである。
 
 そういうところへ、選挙で当選した知事が一人で乗り込んでも、この100年
の中で伝統になった官僚制、官僚仕事、官僚意識を改革するのは難事中の難事で
ある。せめて何人か補佐してくれる人をつれて県庁へ乗り込みたい。しかし日本
の県庁にはそんなポストはない。革新知事はみなこれに悩み、さまざまなやり方
でトライしたのだけれど、それに成功した例はきわめて少ない。
 長洲県政はこれに成功した。久保さんは最初は知事秘書室の一員として県庁に
入ったのだが、この時は官僚陣の反発が大きく、ある幹部は知事に直接「知事と
ラインの間に夾雑物が入るのはよくない」と抗議にきたり、議会では自民党議員
が「どこの馬の骨か正体のわからん者を県庁に入れるのか」、「秩序を乱す」など
と反対し、議員の一人は直接久保さんに抗議にやってきた、と本書に書いてある。
しかし、年とともに久保さんは庁内にとけこみ、地位も上がって理事になった頃
は、久保さん自身もスタッフを持つようになり、各部は理事室のスタッフに優秀
な人材を送り込むことを競うようになった。これは一期目に知事が「重要事項の
報告・相談は事前に久保君に通しておくように」という指示を出したこともあり、
久保さんの人柄もあってそうなっていったのだが、知事は激職だから、ラインが
知事とじっくり話をする時間はあまりない。だから知事の意向が一番よくわかっ
ている久保さんに知事の意向を確かめ、それから知事に報告・相談に行くという
パターンが出来あがった。とにかく久保さんや理事室のスタッフに言っておけば
後で知事につながるということで、大変便利にされた。その理事室を長洲知事は”
ミニ・ホワイトハウス”と冗談めかして呼んでいた。長洲県政の中枢部という意
味であろう。
 
 ブレーン団は、県庁組織とは関係のない、知事の私的集まりだから、どの革新
系知事も持っていただろうが、長洲さんのは100名をこす大きさで、その中に
は各分野の一流の人が大勢入っていた。その豪華さは国の首長級のそれにもひけ
をとらない。また長洲さんは、このブレーン集団をフルに活用していたが、この
ブレーンとの連絡も久保さんの担当であった。

◎本書の構成について
 
 もう一つ述べておきたいことは、本書の構成についてである。本書は四章から
なっているが、その各章ごとに【ディスカッション】というのが付いている。そ
して本書の最後には「解題」がある。解題とはいうものの、本書の内容の総括と
もいうべきものである。その解題の執筆者は磯崎初仁さん(元神奈川県職員、現
中央大学法学部教授)である。また本書を企画し、話を久保さんに持ちかけたの
も磯崎さんである。はじめはこの企画に消極的だった久保さんが、考え直してこ
の企画に協力するようになった経緯も面白いが、これはカットする。そして磯崎
さんの企画にしたがって作業は進行したが、それは研究会をもって久保さんにレ
ポートしてもらい、それをめぐって磯崎さんと似た経歴を持つ人達5、6人でデ
ィスカッションする。そういう研究会を10数回つづけた。その議事録を整理し
て本書にある形にまとめたのも磯崎さんである。そのため本書の著者は久保さん
であるが、同時に磯崎さんの見解、意見もうかがえる内容になっている。
 
 何で読んだが忘れたが、良質の伝記というのは著者と主人公の対話という気配
をもつもので、これのない作品は一級品とは言えない、という意味の言葉があっ
た。本書も久保さんと長洲さんの対話という気配をもつが、同時に、ディスカッ
ションの参加者を磯崎さんに代表してもらう(少し乱暴だが)とすれば、三人の
鼎談という趣きももっている。三人の立場は、主人公として当時者である長洲さ
ん、補佐官として当時者であると同時に著者として検証者でもある久保さん、そ
して検証者としての立場に徹する磯崎さん、である。
 この三人の意見はおおむね一致しているものの、時に微妙なしかし重要な違い
をみせることもあり、それが読む者の思考を刺激する。
 
 本書は私にとってはとても面白い本であった。長洲県政のユニークさから、一
県政の検証というワクをこえて、問題が広く展開され、「長洲県政の検証を論じ
て現下日本の自治体問題および政治の基本課題に及ぶ」(明治、大正の時代には
よくこんな風な表題をつけた論文があったが)という趣きを呈していること。さ
らにそれをめぐる見解が三者三様に展開されていること、による面白さである。
 長洲県政を知っている人、また構革派に関係をもった人は、書評などには関係
なくこの本を読むだろうから、「長洲県政?よく知らねえナ」という人達に「面
白い本なんだ」ということを理解してもらいたいと思う。

◎ちょっと個人的な注解
 
 これは面白い本ではあるが、まことに書評者泣かせの本でもある。それで、以
下、説明不足のいくつかの問題の説明を兼ねて、私の感想をならべてみたい。

 ○かながわサイエンスパーク
 
 これまで長洲県政の一番の仕事であり、本書のメインテーマである、神奈川県
政改革については全くふれてこなかった。この問題もその全貌を紹介すると長く
なるので、一つの典型的なケースとして「かながわサイエンスパーク」を紹介し
ておきたい。
 
 かながわサイエンスパークが長洲県政における戦略プロジェクトとして登場
する背景には、重化学工業からハイテク産業へという、大きな産業構造の変動が
あった。とりわけ京浜工業地帯をかかえる神奈川県にはこの変動の影響は強烈で
あった。この事態に直面して長洲県政がたてた対応策は、重厚長大産業の衰退は
さけられず、これに代えて知識、技術集約型産業を興していく以外に道はない、
という認識のもとに「頭脳センター構想」を打ち出し、神奈川の産業をより高度
化していこう、そのため神奈川を日本とアジアの科学技術と研究開発センターに
していこう、というものであった。しかしこれを実行しようとすると多くの問題
に直面する。前にものべたように県は国の下部機関、政策は国がつくり、県はそ
れを実施する機関という慣行にもとづく考えは県庁職員の固定観念になってい
たのだが、とりわけ科学技術、産業政策、雇用政策といった分野ではそれが甚し
い。したがって県が自前の政策をこれらの分野を中心にしてつくるといったばあ
い、中央省庁や県職員の反発、とまどいは大きなものがあった。それらを別にし
ても二つの問題があった。一つはその政策をつくろうにも、それが出来る職員が
いない、まず職員の養成からはじめなければならなかった、という問題である。
もう一つは政策をつくっても、それを実現に移す政策手段を県は持っていない、
という問題である。そしてこれを解決するために構想されたのがかながわサイエ
ンスパークであった。
 
 なおつけ加えておかねばならないことは、このサイエンスパーク関係の担当者
に知事特命によって久保さんがなったこと、その背景の一つとして、職制上では
担当者であるべき商工部長が、「サイエンスパークなんて誰も知らない。議会を
通す自信がないから、この計画はやめて下さい」と言ってきたことがある。知事
がやろうとしている計画に反対というなら商工部長を交替してもらうしかない
と言ったら「せっかくなった部長をやめる気はありません」と駄々っ子みたいな、
マンガみたいな一幕もあった。
 
 もう一つは、このサイエンスパーク構想の政策づくり、実施にあたっては、ブ
レーン集団のかなりの人々が大きな力を発揮してくれたということである。 こ
うして長洲県政が立ちあげた大型戦略プロジェクト”かながわサイエンスパー
ク”は1989年に川崎市溝の口にオープンした。敷地5.5ヘクタール、霞ケ
関ビルよりややこぶりの床面積をもつ研究施設用インテリジェントビルが建設
された。総事業費650億円であった。日本で最初のサイエンスパークであった。
 
 現在、ハイテク関連中心に、インキュベート中のベンチャー企業69社をはじ
め、研究開発型企業など143社が入居、約4300名の研究者、技術者が働い
ている日本最大のサイエンスパークになっている。そしてこのサイエンスパーク
の運営会社である(株)KSPは日本ではじめてのインキュベート事業(ベンチ
ャー企業の創立支援事業)を行っている。私は不敏にして、このかながわサイエ
ンスパークについてはほとんど知らなかった。この本を読んではじめてその全体
像を知った時には感嘆の想いを禁じえなかった。その先見性、それを政策化し、
プロジェクト事業とする構想力、多くの困難を突破した実行力、いずれも見事な
ものである。この部分のディスカッションで、「まさに構造改革派ですネ」とい
う声があったのには、わが意を得たという思いがあった。この思いははじめのと
ころでのべた社民主義の問題とも関連してのことだが、これを書き出すと長くな
るのでカットする。
●最後に――いささか文学的な感想
 
 本来はきちんと説明すべきところ、あるいはとりあげて検討すべき問題、これ
らをカットカットの連続で切り捨ててきたが、どうも書評が長大論文になっても
困るのでご容赦ねがいたい。本書を読んでいくと考えてみたい問題が次々とでて
くる-そういう本なのである。
 最後にのべたいのは、長洲県政は前半と後半で変質したという問題である。こ
れは久保さんも磯崎さんもそう認めているから、事実そうなのだろう。この問題
を磯崎さんの解題の引用で説明する。「長洲県政の後半には、上記のような先進
性、卓越性も失われたことである。本書では(久保さん報告の部分)、長洲知事
は三期目の半ば過ぎには中央政治への『野心』を失い、『日本政治へのたぎるよ
うな情熱』を感じとれなくなったと指摘するとともに、それが五期出馬という『不
毛の選択』を行い、後継者選びにも失敗した原因になったと指摘している。さら
にディスカッションでは、五期目の長洲県政は補佐官を必要としない『普通の県
政』にもどったとし、厳しい評価を下している。・・・ではその原因は何だろう
か。本書の立場は、長洲知事個人の情熱や姿勢に主たる原因を求めているように
思われる」。
 
 そしてトップのリーダーシップによって展開してきた政権がトップの意欲低
下で輝きを失うのは当然といいつつ、官僚組織の改革が不十分だったという点を
もう一つの原因とみている。たしかに官僚組織の改革が不十分だったことは長洲
県政の弱点という指摘はその通りである。しかし変質の原因とまでこれをみるの
は少し問題の次元が違うという気がする。私は久保見解の方が、一番中心を射て
いるように思う。では何が”情熱”や”意欲”を失わせたのか?私は、社会党改
革の見通しに絶望したのだと思う。社会党はどんどん選挙のたびに議席を減少さ
せ、地元神奈川の県議選でも与党社会党の議席は減る一方である。

 それに反比例して党のイデオロギーは日本型左派色を強め、長洲さんが考えて
いるのとは逆方向に走り出している。絶望するのは当たり前という状況なのであ
る。人間というものは、たとえ小さくとも希望の光さえ見えれば、それに向かっ
て前へ進むことができる。しかし絶望となれば守りの姿勢になるのは当然である。
長洲さんは守りの姿勢に転じた。それまでの改革の成果を見届けるためにも、長
期政権を目指したのであろう。その姿勢に異をとなえたのは久保さんである。久
保さんは長期政権は不毛の道、三期でやめて中央政界へ転身すべき、という主張
だった。この意見の対立から、久保さんは退職して信州大学の教授に転じようと
した。信大の教官公募に応募し、審査をパスしたからである。この時は改革派の
若手職員達が大勢で理事室に押しかけてきて、「貴方が辞めるんなら俺達もみん
な辞める」と、西郷隆盛につづいた薩摩隼人のようなことを言って脅迫した。長
洲知事ももちろん懸命に慰留し、久保さんも信大を断念したということがあった。
 
 久保さんが県庁に入るまえ、安東仁兵衛さんが人物鑑定をしてもらうために久
保さんをつれて丸山真男さんに会わせたことがある。丸山さんは「柔(長洲さん)
と剛(久保さん)」、いい組み合わせじゃないか、と言ったという。長い間、絶妙
のコンビで来たがこの時ばかりは逆目に出たのである。長洲さんは時代を読むこ
とを重視し、”勝てぬケンカはせぬ”という慎重さを多分にもつタイプだった。
久保さんは「義のあるところ火を踏む」という豪気さを一脈持っている人である。
 私はこの本を読みながら、フト思い出したのは藤沢周平の『漆の実のみのる国』
という小説である。江戸時代の米沢藩上杉家の藩政改革を描いた歴史小説であり、
時代も筋の展開も全く本書とは違うのだが、政治の世界、その現状改革の道に踏
み入ったものの魂の声が聞こえた気がしたのである。この本を読んでいるうちに、
この小説を思い出したのは、いったいどうしてだろう。
                  (筆者は元東京都議会議員)

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