■韓国の社会運動と大統領選選   丸山 茂樹

 ―マスコミが伝えない市民社会の地殻変動―
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1.はじめに―伝わらない韓国の実像と市民政治新時代


 このレポートは『変革のアソシエ』No9(2012年7月刊)に書いた筆者
のレポートを訂正加筆して9月初旬に書いたものであるが、12月に行われる大
統領選挙の行方は変動要素が多くて予断を許さない。それを簡略に説明すると、
保守派のセヌリ党は去る8月20日に“国民的に人気の高い”朴槿恵セヌリ党首
を大統領候補に選出したが、野党はまだ候補者選びの真っ最中であるからだ。

 報道によれば9月23日には民主統合党の候補が決まるという。主な野党には
民主統合党と統合進歩党がある。他に党派に属さない安哲秀ソウル大学融合科学
大学院院長への期待が高い。彼は今のところ立候補の意思を表明していないが、
その去就を9月末には発表するという。野党候補が乱立した場合には新聞社や調
査機関の世論調査を見る限り勝敗は明瞭だ。セヌリ党の朴槿恵候補の有利は動か
ない。

 しかし安哲秀教授が立候補を表明して、野党が彼を統一候補にすることに同意
して、市民参加型の幅広い市民政治運動の輪ができれば拮抗する…勝つかもしれ
ないと観測されている。最終的には統一候補ができるか否か? 党派の枠にはま
らない多様な主体が主体的に参加できるか否か、これこそが分岐点であると多く
の人々は思っている。

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2.何が政治や政党を突き動かしつつあるか?
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 大統領選挙の行方を探るためには新聞やテレビの報じる表面的なニュースだけ
でなく、選挙や政党・政治家の浮沈にも影響力を及ぼす市民運動、市民政治運動
と呼ばれる新しい動き、新しいタイプの社会運動の台頭など、普通に生活してい
る庶民の目線で起こりつつある変動に目を向ける必要がある。

 何故ならば、それらの変化する市民の動きが実際に2011年10月のソウル
市長選挙においてハンナラ党候補を抑えて朴元淳弁護士を当選させたヘゲモニー
の根源であり、民主党を民主統合党に、民主労働党を統合進歩党に再編成させた
背後の力でもあったからである。

 更にそれを深か掘りして視野を広げれば、数百に及ぶ社会的企業グループの出
現、4大生協連へ結集した数十万人の生協組合員たちの地道な活動、地域に続々
と生まれている無数のNPOや住民運動グループの諸活動が見えてくる。勿論、
民主化運動において決定的な影響を与えてきた学生運動、民衆運動、労働運動、
市民運動なども重要である。しかしそれらは90年代以来20年余の民主化以後
の社会経済の変動の中で大いなる変貌を遂げていることを見落としてはならない。

 そして日本のマスコミがほとんど伝えない先に述べた勃興しつつある自立的な
市民政治運動、社会的企業、生活協同組合、NPO、住民運動の数々を視野に入
れて、日本以上に悲惨な格差社会となっている矛盾の激しさを直視したい。

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3.竹島(独島)問題とは何か?
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 政治情勢の話の前に連日マスコミを賑わしている竹島(独島)問題について触
れておきたい。日本では「竹島は日本固有の領土であり1905年(明治38年)
の閣議決定で島根県に編入している。それにも拘らず、韓国が李承晩ラインによ
って一方的に自国の領土であると宣言して以後、実効支配し不法占拠状態にある。
韓国政府は大統領が同島を訪問することによって民族感情を煽り立て、自分の不
人気挽回の政治的な梃として利用している。」という説が大勢を占めているよう
だ。自民党から共産党まで「固有の領土論」である。

 しかし韓国政府の立場は「独島は韓国固有の領土であり、1904年8月には
日本政府は日露戦争の最中にあって戦争と侵略のために日韓協約で韓国の外交権
を奪い一方的に国土も奪った。5年後の1910年には主権をも奪い全韓国を植
民地化した。このような侵略と植民地支配の歴史的事実への反省も謝罪もなく鬱
陵島の属島である独島を日本領土というのは許せない」と主張する。詳しくは両
国政府のホームペイジをつぶさに読まれたい。

 では、この度の一連の出来事で誰が『政治的果実』を手にしたであろうか? 
李明博大統領は若干の人気回復に成功したものの起死回生にはならなかった。野
田佳彦首相もまた“民族主義的世論”に乗っているが、大して支持率アップには
ならず、自民党と大同小異であることを示しただけである。

 両国の市民同士は対立を煽られ、東アジアの民衆の友好共存、交流や連帯に水
を差されただけで損害を受けただけと言ってよい。両国の支配層が目先の政治的
利益のために民衆の友好連帯を壊しているという出来事ではあるまいか。

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4.国会選挙における保守党(セヌリ党)の勝利
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 去る4月11日に行われた韓国の総選挙は、マスコミや各陣営の予想に反して
李明博大統領の与党であるセヌリ党が過半数を制して勝利した。表1はその選挙
結果である。ごく簡単にまとめれば保守派(セヌリ党、自由先進党、無所属)は
160議席、野党(民主統合党、統合進歩党)140議席である。

【表1 国会議員の議席数(2012年4月総選挙結果)】
            獲得議席         改選前
 政党名    合計  地域選挙区  比例
 ------------------------------------------  ---------
 セヌリ党  152   127   25    162
 自由先進党   5     3    2     14
 無所属他    3     3    0      3
 民主統合党 127   106   21     80
 統合進歩党  13     7    6     13

 ★進歩新党(1.1%)と緑色党(0.4%)は議席を得られず得票率も2%に
  達しなかったので政党登録から抹消された。

 当選者はなかったが候補者を立てた政治党派は、表2に示すように多数あった
が、上記の4党派以外は当選者を出すことなく、また投票者の2%に達しないた
め政党要件を満たさないという法律の規定により政党登録から抹消された。統合
進歩党への合流をしなかった人々による進歩新党は1.1%、新たに6000人
以上の党員を得て結成し原発立地地域などに5人の候補者を立てた緑色党は僅か
0.4%の得票率にとどまった。

 この結果は各マスコミ、世論調査機関などの予想とは大いに異なるものである。
例外なく野党の勝利を予測していたのだ。理由は李明博大統領の支持率が20%
台に落ち、不支持率が50%を上回っていたこと。そして野党が知識人達のグル
ープの熱心な努力もあって小異を乗り越えて選挙協定を結び、多くの選挙区で候
補者調整に合意して統一候補を立てていたからだ。

 それにも関わらず何故、与党のセヌリ党は勝利したのであろうか? その主な
理由は、李明博の与党ハンナラ党(偉大な国の党)ではなく、朴槿恵のセヌリ党
(新しい世の中)へのイメージ・チェンジに成功したからである。今度の選挙は
李明博の4年間の政治への審判でもあったが、セヌリ党朴槿恵・非常対策委員長
は、李明博政権と政策を批判することによって野党との争点を逸らしてしまった。

 まず敗北の危機に瀕して危機感を抱いたハンナラ党は、これまで李明博大統領
と距離を置いてきた朴槿恵女史(国会議員・元大統領朴正熙の長女)を非常対策
委員長という事実上の党首に選んで総選挙に臨んだ。

朴槿恵委員長は、「福祉・教育予算を増額せよ、金持階層への税金優遇を改めて
彼らには増税する」という政策を提示。議員候補者の選定に当たっては現役国会
議員の約40%を高齢など理由に公認から外した。実際には不正・汚職など不評
をかっている李明博大統領に近い人物を排除したのであるが。また李明博の4大
河川改修など巨大土木事業の推進、福祉を低い水準に抑えた政策、父母の教育費
負担の増大を放置してきた政策への痛烈な批判もした。

 彼女は過去に平壌や光州を訪問するなど和解と全国民を代表するように振舞っ
てきた経歴もある。日本では朴正熙(元大統領)の娘といえばクーデター、軍事
独裁者、弾圧者の子供というイメージが強いが、韓国では貧しかった国を高度経
済成長させた近代化の英雄というイメージも同時にあって、ある種の世論調査で
は世宗大王、李舜臣将軍と並ぶ人気があったのも事実である。

 また韓米FATによる新自由主義政策も国の行方を左右する大きな争点であっ
たが、朴槿恵は、それ自体には触れずに「韓米FTAの交渉を開始したのは民主
党政権であって、野党になって急に反対する民主党は一貫性に乏しい。それこそ
政治不信を招く理由である」と民主党攻撃へと矛先を向け、民主党の党首である
韓明淑(盧武鉉政権の首相)を狼狽えさせた。民主党は「韓米FTAを始めたの
は間違いだった。反省する」という勇気がなかったのだ。しどろもどろの党首は
精彩を欠き、敗北の一因となった。        

 選挙の争点をぼかし、現政権への批判を自ら行うことでセヌリ党批判をかわし、
庶民の味方の如く巧みに振舞って旨く勝利を手にしたと言える。しかしその勝利
は完璧なものではない。

 表2を見ると得票率では僅かながら進歩政党の合計が上回っていることが分か
る。これが来るべき大統領選挙の行方を、今回の総選挙結果だけでは単純に占う
ことは出来ない理由である。社会民主主義者の如く振る舞って勝利を得たものの、
右派や党内の李明博大統領派の政治的・組織的な力をどのようにしてここ数ケ月
間に吸収し我がものとするか彼女の戦術、運動のあり方が注目されるのである。

【表2 各党の得票率】
        得票率    内  訳
 ---------------------- ------------------------------------------
 保守政党  48.2%  セヌリ党42.8%  自由先進党3.2%
              ハンナラ党3.2%  国民の考え0.7%
              親朴連合0.6%
 進歩政党  48.5%  民主統合党36.5% 統合進歩党10.3%
              進歩新党1.1%   創造韓国党0.4%
              正統民主党0.2%
 少数政党   3.3%  10の政党が候補者を立てたが皆、落選した。
 
 また、角度を変えて地域別に見ると、首都圏では民主統合党はセヌリ党に大き
な差をつけて勝利しているが、地方では敗北している。2回の知事選では勝利し
た江原道で1議席も取れず、好調が伝えられた釜山でも僅かな議席しか獲得でき
なかった。しかし、自由先進党はその強固な地盤と言われた忠清道地域で3議席
しか得られず(比例を入れて6議席)韓国の政治の旧弊といわれた地域主義の一
角は崩れている。

 地域主義、ボス支配から政策中心の政治勢力の編成への道が進みつつあるか否
か、注目される。表3を参照されたい。

【表3 地域別の獲得議席数】
 政党    首都圏 中部圏  湖南  嶺南  済州  比例   合計 


       112  34  30  67   3  54  300
 セヌリ党   43  21   0  63   3  25  152
 自由先進党   3   0 0   0   0   3    6
 無所属・他   0 0   2   1   0   0    3
 民主統合党  65  10 25   3   3  21  127
 統合進歩党   4   0 3   0   0   6   13

 ★湖南は光州を含む全羅道、嶺南は慶尚道と大邸、釜山
 
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5.進歩派はなぜ敗北したか?
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 では進歩派の民主統合党と統合進歩党はなぜ敗北したのであろうか? 世論調
査で優位だと報じられたので油断してしまった…という説明もあるが、これは推
論・俗論に過ぎない。非常に分かりにくい論争的なテーマではあるが私の結論は
“市民政治運動”の行動力を味方に引き入れることに失敗し、若い有権者層の自
発的な参加を組織できなかったからだ、と考えている。この点が昨年10月のソ
ウル市長選挙との決定的な違いである。

 今回の総選挙では政党レベルでは協定が結ばれ、候補者調整も行われて勝利の
構図が作られたのであるが、それを市民各層の参加・圧倒的な行動力に結びつけ
ることが出来なかった。それは投票率の低下や若い世代の参画の度合いなどに現
れているのであるが、「政党が政治を牛耳るという政治文化」に対して、若い世
代や市民政治団体の「直接的参加を求める新しい政治文化」に対応し得なかった
ということである。

 これは今後の政治運動、市民政治運動、市民団体や労働運動のあり方にも関わ
る大きな課題である。この自分を当事者であると考え、直接行動する市民の動き
は、数ケ月、数百万に及ぶ2008年のアメリカ牛肉輸入反対のロウソクデモ、
2011年10月の朴元淳ソウル市長選挙の大衆的な盛り上がりは、新しい政治
参加の形態の創造とみるべきである(注1)。

 具体的には、両党は①韓米FTA協定に反対する②済州の海軍基地建設に反対
する③福祉中心の政治の実行、等の政策協定を結んだ。また256選挙区の内6
9の選挙区で候補者調整を行うことに合意し、予備選挙を行って勝者を統一候補
にすることにして実行した。その予備選挙管理は「野党圏候補単一化予備選挙管
理委員会」及び「民主社会のための法律家協会」が行い、58の選挙区で民主統
合党、11の選挙区で統合進歩党の候補が勝利して統一候補となった(注2)。

 この他に慶尚南道の巨済では進歩新党の候補が予備選挙で統一候補となったが、
本選挙では落選している。

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6.ソウル市長選挙の勝利とその教訓
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 ソウル市長選挙においては、無所属の朴元淳氏を支持する市民政治グループが
政治キャンペーン本部(韓国ではこれを“朴元淳キャンプ”と呼ぶ)に広範な支
持層を結集した。これを進歩派の政党が周りで支持するという布陣である。

 しかし、朴元淳氏の出身母体であり韓国の代表的な市民団体である「参与連帯」
執行部は、このキャンプには参加せず「政治的中立」「政治・行政・財界の監視
役に徹する」という立場を取った。これに対して、「市民運動団体も政治に積極
的に参画すべきである」という知識人集団・市民運動出身者集団が名乗りを上げ
て朴元淳キャンプに集結した。市民運動派にも分岐があったのである。

 次は統一候補選びだ。まず立候補の意思を表明した無所属の朴元淳弁護士(前・
シンクタンク『希望製作所』の常務理事、元・代表的な市民運動団体『参与連帯』
の事務所長)と、世論調査などで人気第1位の安哲秀氏(アン・チョルス、ソウ
ル大学教授・融合科学技術大学院院長)の会談がもたれた。その結果、安哲秀氏
は「朴元淳氏は立派な人であり彼をソウル市長候補として推薦し自分は立候補し
ない」と公式に声明。これによって無所属の候補者は1人に絞られた。

 次に民主党内の選考で朴映宣氏、民主労働党内の選考で崔圭葉氏が選ばれ、3
人の候補がルールに従って候補者の1本化を図ることになった。 

 予備選挙のルールは略す。結果は朴元淳氏が52.15%の支持を得て野党と
市民政治運動諸団体の統一候補となった。若い世代は党派や団体の枠を超えて熱
狂的に歓迎し熱い支持を寄せた。

 保守のハンナラ党は国会議員の羅卿〓(ナ・ギョンウォン)女史を候補に指名。
結果は予想以上の差で進歩派統一候補の朴元淳氏が勝利したのであるが、特に注
目すべきは世代による支持率の鮮明な相違である。40代以下は朴元淳、50台
以上は羅卿〓支持であった。

 表4は世代別の支持率である。反共主義教育で凝り固まり新聞など既成メディ
アに依存する世代と、パソコン・ツイッター・フェイスブックなどのニューメデ
ィアを駆使する世代の違いでもあろう。若い世代は互いに携帯電話などで連絡を
取りながら自分が投票を済ませたことを映像で伝え合った。インタビュウの質問
に答えて彼らは「支持政党や所属団体の意思とは関係なく、自分自身の問題とし
て選択し行動した」と述べていたのが印象的である。

【表4 ソウル市長選挙の世代別得票率(2011年10月)】
        朴元淳(進歩派統一候補)  羅卿〓(ハンナラ党)
 ----------- ------------------------  --------------------
 20代       69.3%         30.1%
 40代       75.8%         23.8%
 40代       66.8%         32.9%
 50代       43.1%         46.3%
 60代以上     30.4%         69.2%

 もう1つ記憶しておくべきことは、ソウル市長選挙の争点が「学校給食を全児
童生徒へ無償で」の是非であったことだ。

 前市長の呉世勲氏(オ・セフン、ハンナラ党)は「所得の高い世帯には有償で
…」という政策をとり、市民の直接投票で自分の政策の是非を問うたが、支持を
得られずに敗北して辞任。補欠選挙になったわけであるが、ハンナラ党の羅卿〓
候補は呉世勲の「バラマキ福祉批判」を踏襲した。進歩派は「全ての国民と子供
に権利として教育と福祉を保障すべし」と主張した。

 韓国では欠食児童、貧困層の問題が深刻である。だからこの争点は単なる「給
食問題」以上の深い意味を持っていたのだ。   

 「大企業・輸出産業が発展すれば雇用も増大し、やがて中小企業や地域経済に
も恩恵が及んでゆく…」といういわゆる Trickle-down 理論の効果を人々は最早、
信じなくなった。特に正規労働者の減少、非正規労働者の増大、大卒就職率が僅
か50%という現実に前に、「莫大な利潤で潤う大企業や金持階層に増税を! 
その財源で福祉重点の政策へ切り替えよ!」という主張のシンボルとして「無償
給食」問題があったのである。
 
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7.政党の再編統合と内部矛盾
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 ソウル市長選挙の勝利の後、2012年4月の総選挙を前にして政党の再編統
合が行われたことを述べなくてはならない。「多くの政党が対立・分裂して夫々
が候補者を立てたのでは敗北は目に見えている。ハンナラ党・李明博政権の政治
を終わらせるために政党は大同につけ!」という声が色々な集団の声明や提案、
インターネット、SHSなどでいわば世論のうねりを形成し諸政党に影響を与え
た。

 背景には李明博政権による進歩勢力に対する弾圧と労働組合への分裂策動があ
った。マスコミ支配は露骨を極めたし、これまで経営を禁じられていた新聞社に
よるテレビ局設立を法律改正で可能とし、保守系テレビの参入へ道を開いた。

 教師や公務員の組合活動への介入と処分は苛烈を極めた。政府による補助金や
民間団体とのプロジェクトや契約などは露骨な差別された。これまで穏健な体制
側と見られていた韓国労総に対してすら、企業べったりの第2組合づくりの攻撃
がなされた。

 労働組合は会社側、穏健派、左派に分かれ左派の中にも北朝鮮に同情的と言わ
れるグループと明瞭に一線を画す分岐がある。こうした政権の権力支配に対して、
分裂と抗争に明け暮れてきた進歩派内部で反省と危機感が高まり、その結実とし
て先の述べた2011年10.26ソウル市長選挙で行われたことは既に述べた。

 政党再編は紆余曲折があったが、民主労働党と進歩新党の一部及び国民参与党
などが合流して統合進歩党をつくった。民主党へは創造韓国党の一部や韓国労総
の幹部集団が合流し、様々な経過で分裂していた旧金大中派、旧盧武鉉派が合体
して民主統合党をつくった。この統合劇に加わらなかった人々も多いが、大局的
に見れば中道と中道左派の民主統合党、左派の統合進歩党の2党、それに今回は
僅かな票しか獲得しなかったが緑色党が登場した。

 今、統合進歩党は候補者選びの不正発覚で揺れ動いているが、党内の勢力争い
の背後には路線をめぐる内部抗争があり、マスコミは主流の従北勢力(北朝鮮へ
の追随勢力)に問題あり、と騒ぎ立てている。党内論争は公明正大に行われねば
ならないが、進歩勢力全体の協力発展に水を差す暴力的抗争は自制すべきである
と私には思われる。

 民主統合党もまた敗北の責任を取って辞任した韓明淑代表の後の体制づくりに
もたついてきた。根本問題である“市民政治勢力”との良き関係づくりを解決せ
ず、安哲秀待望論と独自候補擁立論の間を揺れ動いているため、勝利への展望を
切り開けていないようだ。

 ともあれ、2つの政党と市民政治勢力―この3つの潮流が良い関係を保って1
2月大統領選挙へ向うか? それとも旧態依然の内部抗争が再燃して若い世代や
市民政治勢力のエネルギーを結集し得ないまま選挙を迎えるのか?

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8.“安哲秀現象”とは何か?
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 安哲秀氏は大統領選挙に立候補するのか? 立候補してソウル市長選挙の朴元
淳氏の時のように市民政治勢力と野党が全面協力し、朴槿恵セヌリ党候補を抑え
て大統領に当選するのか? それとも立候補せず野党は連帯しないまま、朴槿恵
大統領の時代が来るのか?

 8月末頃までには決着するであろう。いずれにしても財閥・輸出産業中心の政
策を改め、福祉重視政策を中心にした第1次産業や地域産業の振興を国家政策と
する事が必要である。また国家の政策を待たず、社会運動として社会的企業を創
造することも重要だ。安哲秀を待望する世論はその政策転換のシンボル(人物像)
として彼を選んだのだ。

 では安哲秀とは如何なる人物であろうか? 報道や彼の講演・経歴から伺える
のは、旧来の左派右派という分類には馴染まない「ノンポリ」であるが、私益よ
りも共益・公益を重んじ、組織の利益よりも個人の尊厳を重んじる人物であるあ
ることは確かだ。

 もともとは医学者であるが、医学のためにもIT技術が重要であると考えて研
究を重ねて多くのソフト開発に成功し、特許をえて巨万の富を得た。またアメリ
カへ渡り、自然科学・社会科学・人文科学を融合した融合科学技術を提唱してソ
ウル大学融合科学大学院院長に就任。自分の特許技術を非営利団体には無償で提
供、営利企業へは有料で提供して莫大な富を得た。しかしこれを私物化すること
なく財団法人を設立して拠出し、世のため人のために役立てる行動に出た。目下、
大学院と財団の仕事で多忙を極めているという。

 ソウル市長選挙で朴元淳弁護士を全面的に支援したのは先述の通り。4月の総
選挙では特定の党派や個人は支持しなかったが、各地の大学を回って講演し「党
よりも人を!」「利益誘導ではなく公益を基準に!」投票すること、兎にも角に
も傍観せず主体的に参加し行動することの重要性を語って歩いた。マスコミは彼
の真意を理解できなかったようだ。彼は政治を変えようという以前に政治文化、
社会の在り様、金銭だけに偏らない価値観のパラダイムの転換にこそ関心がある
のだ。それは彼との対話を記録した最近の著書を読むとよく分かる(注3)。

 当人には政治的野心はないようで、公益のために自分より適任者がいれば支持
するというスタンスであるが、世論調査では本人が立候補を表明していないにも
関わらず常に断然トップの支持を集めてきた。

 しかし、最近(5月中旬)保守系のマスコミは安哲秀氏よりもセヌリ党の朴槿
恵氏のほうが僅かに世論調査で上回ったという報道をしている。彼女の言動は安
哲秀に自分を似せている所があり、私利私欲を離れているという印象を振りまく
ことに努力を注いでいるようだ。それが奏功したのかも知れない。

 安哲秀氏を支持する熱狂的な世論は“安哲秀現象”と呼ばれている。多分それ
は、既成政党や既成政治家の不正・権力欲への嫌悪、公益や正義を自分の生き方
そのもので示していることへの好感、新しいタイプのカリスマ待望の気分が増幅
した結果であろう。

 最初に総選挙の敗北の原因を“市民政治運動”、“若い世代の自発的行動との
結合努力の欠如”にあると述べた。実は白楽晴(ソウル大学名誉教授)著『韓国
民主化2.0―『2013年体制』を構想する』(岩波書店、2012年6月)
は、3月13日に行われた民主党と民主労働党の野党連帯宣言式の宣言文に沿っ
たものである。民主党の韓明淑、民主労働党の李正姫両代表の連携の取り纏め役
が白楽晴氏であった。

 ここに欠けているのが“朴元淳の選挙戦の新しさ”、“安哲秀現象”への深い
理解であるように私には思われる。白楽晴氏は間違いなく尊敬すべき韓国の良心
そのものであるが、新しい時代は“伝統的な統一戦線”の枠を越えた“市民の当
事者としての直接的参加”如何にかかっていることを理解することが肝要である
と思われる。

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9.極端な格差社会・韓国―真似てはならぬモデル
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 韓国を知る人は、普通の会社に勤めている会社員や公務員が“中産階級”と呼
ばれていることを知っている。彼らは恵まれている人々であり、子供達は、<あ
んな人たちの仲間になりたい>と思う。彼ら彼女らの父母もそれを熱烈に信じて、
信じがたい程激しい受験競争に駆り立てられている。所得に占める教育費の比率
は年々上昇している。学費、塾費用、家庭教師費用などである。

 しかし、悲しい現実は労働者の中の日雇い労働者の割合は47.3%である。
大卒就職率約50%。日本で隆々と発展していると伝えられる製造業で働く人の
割合は、1990年の25.6%から2003年の18.9%へ下落している。過
去10年間に、500人以上の大企業で働く雇用労働者は211万人から132
万人へ減少した。企業は兆単位の巨大な利益を手にしているが雇用は増えず、労
働分配率は下がり続けている。 
              
 金鍾杰教授(漢陽大学)によると韓国の高齢化率は年々増えて2005年には
9.1%に達した。2030年には認知症が65歳以上の人口の9.6%、100
万人と予想される。2009年の絶対的貧困率(最低生計費基準)は10.9%、
相対的貧困率(中位の50%未満の所得層)は15.1%。自殺者は人口10万
人あたり24.7人(2005年)でOECD加盟国中、最悪であるという。

 彼はこれらを“韓国の憂鬱”と呼び、政府が「社会的企業育成法」、新しい
「消費生活協同組合法」、「協同組合基本法」などを制定・促進して社会的企業
を育成しようとする背景には「超格差社会」の矛盾がのっぴきならない段階にき
たからだ、と説明している。

 農林水産業はもっと悲惨である。農家に嫁がせたい父母は僅少だ。農村へ行く
とベトナムやフィリッピンなどから来た外国人嫁が20%を超えている。どの役
所へいっても多文化共生課とか部がある。彼女達とその子供たちが絶望的な心情
になることを防止して末永く韓国で暮らすためのイベントなどを企画実行してい
るという。

 去る2月19~20日に韓国を訪問した篠原孝氏(前農水産副大臣)を団長と
する議員連盟・TPPを慎重に考える会の訪韓団、3月18~21日に訪韓した
加藤善正氏(岩手県生協連会長)を団長とする「岩手県民会議」の代表団(注4)
など、最近韓国を訪れた日本の代表団が、韓国の野党国会議員団や韓米FTA反
対汎国民連合の代表などから聞いた話は、「絶対に韓国の真似をして欲しくない」
という切実な話ばかりであった。韓国の経験を正確に知り受け止め、民衆同士の
連帯関係をつくることが今こそ求められている。(9月10日記)

(注1)洪日杓「韓国の政党政治の変化の可能性と市民政治運動」(『FORUM
OPINION』VOL.16号、2012年3月、所収)が、政党でもなく従来の市民運
動団体でもない市民政治運動という新しい運動の登場とその意義について論じて
いる。

(注2)この予備選挙については不正があったと批判され、統合進歩党の共同代
表であった李正姫女史が立候補を辞退、選挙後も当選者への辞任要求など混乱が
生じている。

(注3)カン・ジュンマン著『2012 時代精神は憎悪の終焉―安哲秀の力』
(人物と思想社2012年7月)、イ・ギョンシック著『安哲秀の戦争』(ヒュ
ーマン&ブックス、2012年6月)、安哲秀『我々が願う大韓民国の未来地図
―安哲秀の考え』(キムヨン社、2012年7月)

(注4)『絶対に韓国の真似はしないで―韓国国会議員団が訴え、民主党議員団
に』(農業新聞2012年2月29日号)、『「韓米FTA」状況調査団報告書』
(TPP等と食料・農林水産業・地域経済を考える岩手県民会議作成、平成24
年4月)、を参照されたい。

 (筆者は参加型システム研究所、JC総研、客員研究員)

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